断片的なものの社会学

著者 :
  • 朝日出版社 (2015年5月30日発売)
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 すごくいい本に出会った。一回読んだだけでは到底消化できなくて、メモったり感想を書いたりしながらもう一周した。図書館で借りた本だったけれど全然返したくなくて、Amazonで新品を買った。

 様々な地域、年齢層、職業の人びとへ、一対一でインタビューを行い、丁寧に言語化していく。聞くのはその人の「生活史」だから、これといった大きな出来事があるわけではない。なんでもない日常の「断片」なのだけれど、読んでいるこちらは、きっと一生会うことはない見ず知らずの他人の生活を覗き見しているような気分になって、好奇心を掻き立てられる。その話もっと聞きたい、と思う。読みながら、いろんな思考が頭の中を駆け巡るけれど、どんどん新しい人物の新しいエピソードが流れ込んでくるので収拾がつかない。だから何回でも読める。

 インタビューをそのまま書き起こした章もあれば、筆者がエッセイ的に語る章もある。ほとんど全てのエピソードに共通して言えることは、明確なオチがないことだと思う。何か明確に伝えたい結論や主張を目掛けて話が展開されていくのではなく、単なる事実として、ひとつの筆者の実体験として、淡々と語られる。淡々と、とめどなく、それでいて読者の知的好奇心を著しくくすぐるだけのエネルギーを持って。筆者はこのとめどなさについて、「イントロダクション」でこんなふうに述べている。


社会学者として、語りを分析することは、とても大切な仕事だ。しかし、本書では、私がどうしても分析も解釈もできないことをできるだけ集めて、それを言葉にしていきたいと思う。テーマも不統一で、順番もバラバラで、文体やスタイルも凸凹だが、この世界の至る所に転がっている無意味な断片について、あるいは、そうした断片が集まってこの世界が出来上がっていることについて、そしてさらにそうした世界で他の誰かとつながることについて、思いつくままに書いていこう。(p.7-8)


 読みながら、こんなに頭をフル回転させた本は久しぶりだと思う。自分の体験に照らし合わせてみたり、教訓のように心に留めておきたくてノートに書き出してみたり、とにかく終始アクティブな態度でこの本と対峙できたことが楽しかった。そうそう、本当に楽しい本だった。ただ読むだけじゃなくて、自分で何か書きたい、何かしゃべりたいというエネルギーが沸き起こってくるのを感じた。

 一冊を通して最も印象に残った箇所について、深掘りしてみたいと思う。


 ある人が良いと思っていることが、また別のある人びとにとっては暴力として働いてしまうのはなぜかというと、それが語られるとき、徹底的に個人的な、「<私は>これが良いと思う」という語り方ではなく、「それは良いものだ。なぜなら、それは<一般的に>良いとされているからだ」という語り方になっているからだ。(中略)
 したがって、まず私たちがすべきことは、良いものについてのすべての語りを、「私は」という主語から始めるということになる。(p.111)


 このことについては、私は日頃からめちゃくちゃ心がけているのだ。人と会うとき、最低限これだけは失敗したくないと思っている。

 気を付けようと思うきっかけになったのは数年前、子どもが幼稚園に通っていた頃だ。当時、夫と穏やかに会話をする、といういとも簡単なことがどうもうまくいかなくなっていた。例えば、同じニュースを見ていて夫がふと口にする感想に、ひとつも共感できなくなった。できなくなったというより、実はそれまでもできていなかったのだけれど、なんとなく流したり納得したふりをしたりすることはできていたのに、あるときからそれすらも完全に不可能になってしまった。なぜだ。

 果たして、私が歳を取ったからか。結婚したばかりの頃は二十歳そこそこで、世間知らずだったし、人生における確固たる信念もなかった。だからか、夫が私と違う意見を言ったとき、「それも言えてるかも〜!」と軽快な態度を取ることができた。しかし最近はそうもいかない。この十年で、譲れないと思うことが圧倒的に増えた。正しいか間違っているかは知らないけれど、自分なりに生きていく上での方針のようなものもだいぶ定まってきたと思う。よく言えば芯ができ、悪く言えば頑固になった。おそらく加齢以外にもホルモンバランスだとか生理周期だとか単純に機嫌の問題とかいろいろ要因はあるだろうが、とにかく当時の私は、夫のみならず、それまで親しかった家族や友人たちとも穏やかに会話することが難しくなっていた。自分と違う、ということに対する寛容さを失っていたように思う。

 今年で56歳になる夫が生まれ育った家庭では、女性にテレビのチャンネル権がなかったらしい。家事育児は当然母親の仕事で、父親は家にいても子どもとは遊ばない。現に私たちの息子がまだ幼かった頃、「男がベビーカーを押すなんてみっともない」というおったまげ発言をして全宇宙を震撼させた。出産してから、夫がどんどん理解できなくなっていく。意見はぶつかるし、ぶつけても「俺は変わらない」と言い切るし、かと言って私も変わりたくない。私にだって生きたい生き方があるんだ。歳下だけど、いろいろ自信ないけど、私ばっかりが変わるなんて不公平だ。でも息子にとってはたった一人の父親だし、このままただただ悪化の一途を辿って、最終的に家族が崩壊する展開は避けた方がいいと思った。さぁどうする。

 悩んだ末、夫が育った環境を少しでも理解しようとドラマ「家なき子」を観ることにした。エンタメではない、これはれっきとした社会勉強だ。体罰、差別用語、いじめ、男尊女卑、家父長制。全部が全部行きすぎていて笑った。でも夫が10代だった1980-90年代の日本が、誇張されているとはいえなんとなくどんなだったかを見て、これはもうしゃーないわ、と思った。理解しようとすることはできても、根本的なすり合わせはできない。お互いに不可能だ。不可能だし、そもそもすり合わせって必要?夫婦だからと言って、価値観を揃えて、常に同じ方向を見ていなきゃいけない?

 ずっと当然と思っていた考え方や社会のあり方が時代とともに少しずつ変わっていき、いつの間にか全く違うものになっていた、という事態は想像に容易い。今の日本は、たしかに世界からはまだまだ遅れを取っているかもしれないけれど、少なくとも「家なき子」の時代からは格段に進化している。女も働くし、男も育児するし、同性愛を無条件に拒絶する人は減ったし、結婚と出産はセットじゃなくていい。私が高校のとき仲が良かった女友達は、タイで性転換手術をして男になって数年前に結婚した。ぽんぽん転職しても、在学中に起業しても、YouTubeで数時間ゲーム実況して投げ銭で18万円稼いだっていい。「キチガイ」「ガイジン」は誰でも知っている差別用語になったし、ハラスメントは今や全35種類もある。そんなこと、20年前の日本で誰が想像できただろう。私だったらその全てに完璧に順応できていたのだろうか。無理だ。今だって全然できていない。東洋女性を指す「オリエンタル」という言葉が人種差別にあたるとして2016年にアメリカで使用禁止になったこと、LGBTにいつの間にかQが加わりそれが今ではPになっているらしいこと、現に知らなかったじゃないか。

 「順応」という言葉の聞こえはいいけれど、それはつまりこれまでの価値観を捨てるということ。そんなことできるだろうか。いや、できるできないじゃなくて、もしも安易に「今日から新しい私☆」みたいなこと言っている大人がいたら、そいつの方がよっぽどやばくないか。

 そういうわけで、私は無意識に「家族なのだから同じ方向を見ねば」と自分に強いていたらしいこと、そしてどう頑張っても意見がすり合わないことに苛立っていたらしいことに気付き、全部さっさと放棄することにした。自分はこう思う、に対して、いや俺はこう思う、と言われたとき、論破する必要も、服従する必要も、なんなら無理に妥協案を見出す必要もないと思うことにした。そうしてみると、なるほどそういう考え方もあるのか、とハッとする余裕が生まれた。それを自分の意見として取り込むかどうかは、また別の問題。

 今、他人と「穏やかに」会話するということは、必ずしも相手の考えに寄り添うことを意味しないのだと思う。どんなに親しくても、自分と全く同じ意見の人間はいない。だから、自分とは違う意見を聞いたとき、それもそうねと自分の意見の輪郭を変容させることは(柔軟性という点でときに重要になるとはいえ)、穏やかな会話を成立させる必要条件にはならない。必要条件になることは、持論と一般論の境界を常に明確にしておくよう心がける姿勢だ。自分の意見があたかも世界の大多数が支持する多数派の意見であるかのように振りかざすことは、暴力になる。だから意見を言うときは、必ず主語を「私は」にしなくてはならない。意見の相違は、すり合わせるべき障害ではなく、新しい発見と気付きをもたらす香辛料のようなものだと今では思っている。



 もう一つ、この本が好きになった理由は、言語化された文章の美しさだ。私は昔から物事を言語化する能力が高くないので、思ったこと、考えたことを的確に文章にすることができない。言いたいことはあるのだけれど、どう文章にしていいかわからない。いつまで経っても言葉にできないまま頭の中に残り続ける物事を、この本は私の代わりにすっきりと言葉にしてくれた。

 私は大学で哲学を専攻していたのだけれど、卒論を書いていた時期に同じゼミの男子生徒から、君はそもそもなんで哲学を専攻したのと聞かれた。自力ではなかなか言葉にできない物事を言葉にしたいから、と私は答えた。彼はポカンとしていた。凄まじく疲れていたのだと思う。

 なぜ哲学を専攻することにしたか。最初は高校の倫理の授業だった。生きている中で、頭に浮かんでくるのにうまく言葉にできない思考が、倫理の教科書の中できれいに言語化されているのを読んで感動した。人はなぜ死ぬのか。なぜ他人を殺してはいけないのか。「万物の根源」とは。哲学と宗教の違いは。哲学と哲学史の違いは。倫理の教科書には、私が八億回生まれ変わっても自力では導き出せないような素晴らしい理論の数々が紹介されていたけれど、私を最も圧倒したのは、そのあまりの答えのなさだった。高校二年生まで数学と化学が一番好きで、ただひとつの答えを目指して一心不乱に数式を構築していく単純明快な世界に満足していた私は、明確な答えを持たない学問があることに呆然とした。考えるというその行為そのものが求められる学問。完全に満足のいく結論を得ることは永久にできなさそうな学問。なんだかよくわからない熱が全身を駆け巡って、さっさと文転して教養学部に入った。

 大学一年生の必修科目だった一般教養の授業で、各国の哲学者の論文をたくさん読んだ。全員言っていることが違うのに、そのどれもが微塵も論理的に破綻していないように見えて、倫理の教科書よりもずっとずっと感動した。正しさと真実は必ずしも一致しないこと。意見の相違があっても常に正誤で判断できるとは限らないこと。無心で計算しているときとはまったく違う種類の高揚感だった。

 文学も、人類学も、心理学も魅力的だったけれど、やっぱり哲学の授業が一番楽しかった。それでも卒業間近に一度だけ、専攻を決めたときの信念が危うくブレそうになったことがあった。

 卒論を書くため、図書館に籠って黙々と論文を読み、関係代名詞だらけの長い文章を細かく区切り、未知の単語を調べ、辞書に出てくる複数の訳語の中から最適なものを選び、和訳し、そして出来上がった自分の訳文を読み返してあまりの意味不明さにブチギレて喫煙所に逃げる、という作業を延々と繰り返していた時期に、単位の関係で仕方なく履修した社会学の授業がそれだ。教授が提示したテーマについて見ず知らずの隣の生徒と会話し、互いに意見を述べ、相手の人格ではなく意見単体を否定する術を身につけようと試み、ときにフィールドワークと称して学外に出てまた見ず知らずの人と会話する。その一度きりしか履修しなかった社会学の授業が妙に楽しかった。一人で黙々と突き詰めるのも、人と関わるのも、どちらも楽しいなと思った。あのときさっと身を翻して専攻を変えていたら、と思うけれど、今も昔も私は頑固すぎて、みすみすチャンスを逃してしまう。

 十年以上前のあの日から(こういうことを書くと年齢がバレちゃう!と怯む年齢を私はいつの間にか通り越している)、私はずっと同じ地点にいるような気がする。抽象的なものを言語化する能力は今も壊滅的なままだし、論理的に破綻していなければ、まったく正反対の二つの意見の両方につい首肯してしまう。まあそれもそうね、あなたの言いたいこともわかるわ。そう言いながら自分がどっちの立場を取るかくらいは最低限はっきりさせておくべきだと思うけれど、ほとんどの場合、なかなかそれも叶わない。

 文章にしようとしても全然つかめずにすり抜けていってしまう、でも頭の中にはずっと残っていて、いつかスッキリ言葉にしてもらえるのを待っている思考たち。三十代半ばになってもなお、相変わらずうまいこと表現できない現状にもどかしさを感じる。そんな中で、この本はかなりの量の「スッキリ」を私にもたらしてくれた。そうそうそういうこと、それが言いたかったのよ。だからこの本が好き。何回でも読みたい。岸氏の他の本もいろいろ検索して、次は「街の人生」「マンゴーと手榴弾」を狙っている。 どんな人物が書いたのか気になってネット上のインタビュー記事をいくつか読み、Twitterをフォローして、画像検索もした。なまらイケメンだった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2021年5月13日
読了日 : 2021年5月13日
本棚登録日 : 2060年12月31日

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