切除されて

  • ヴィレッジブックス (2007年5月20日発売)
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感想 : 20

 ふと立ち寄った古本屋。なにげなく棚を眺めていると、一冊の本のタイトルが目に留まった。

 『切除されて』―。女子割礼、すなわち性器切除された女性の書いた自伝だった。

 著者キャディはセネガル出身で、首都ダカールの近くの村で1959年に生まれた。7歳に時に割礼をうけ、13歳で一族の決めた相手と結婚させられた。

 現在でも女性に限らず割礼は世界で広く行われていて、古くは古代エジプトまでさかのぼることができるという。

 性器を切除される際の描写がリアルで、読んでいて下腹部に鈍痛を覚えてしまうようだった。愛せない夫との生活への不満、家庭内暴力など、陰鬱な時期を乗り越えたからこその彼女に強さをひしひしと感じる。しかし、彼女の不幸は切除が直接的な原因ではなく、すべて夫とのトラブルに拠っていると言っても過言ではない。

 彼女は、性器切除は宗教上の理由もなく、感染症を引き起こし女性から性の悦びを奪うだけだ、として、現在その廃止運動を行っている。私も以前国連が主催するフォーラムで、日本人による同様の講演を聴いたことがある。

 だが、何千年も前から続く因習となった割礼の目的や理由がわからないのも当然だ。神社に行って私たちは無意識に柏手を打つが、なぜ手をたたくのかよく知らないのと同じである。もともとは目的のための手段であった割礼や柏手をうつという行為自体が、繰り返されることで目的化したのである(手段の目的化)。

 そもそも現実に割礼をしている部族の人間でもない私たちが、この問題への賛否を問われることに、私はいささか違和感を感じている。割礼をしていない私たちがもし「自分たちもやっていない行為で、野蛮だからやめろ」と言うならば、それは他国の文化や慣習に対する不当な干渉ではないのか。

 くじらを殺し、食べることについて、我々日本人が議論し、「もう時代に合わないからやめようか」となったら納得できる。しかしそれを外国人が「野蛮だ」といってやめさせようとしていることに抵抗を覚える国民は少なくないだろう。同様に、割礼をするかしないかは実際にした人、する人によって議論されるべきだ。

 そういう意味で、割礼体験者のキャディがこのような本を記したことはとても意義深いことだとは思う。だが日本語に訳され、日本人へのメッセージも書かれたこの本を読んだいま、日本人である私は一体なにを思えば良いのだろうか。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2011年11月1日
読了日 : 2011年10月31日
本棚登録日 : 2011年11月1日

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