選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子 (文春文庫 か 83-1)

著者 :
  • 文藝春秋 (2021年4月6日発売)
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感想 : 10
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河合香織(1974年~)氏は、神戸市外国語大学ロシア学科卒のノンフィクション作家。2004年のデビュー作『セックスボランティア』で注目され、2009年の『ウスケボーイズ 日本ワインの革命児たち』で小学館ノンフィクション大賞を受賞。
本書は2018年に発表され、大宅壮一ノンフィクション賞、新潮ドキュメント賞を受賞。2021年に文庫化。
本書は、2013年に始まったある裁判を軸に、人(胎児)の命について問うものである。
その裁判とは。。。41歳の母親が、胎児の染色体異常を調べる羊水検査を受けたところ、ダウン症という結果が出たにもかかわらず、医師は誤って異常なしと伝えてしまう。そして、母親が出産した男児はダウン症による肺化膿症や敗血症のために、壮絶な闘病を経て、生後三ヶ月半で亡くなった。両親は医師と医院に対して裁判を起こすが、その裁判は、自分たち夫婦に対する損害賠償だけでなく、子に対する賠償も請求するものであった。両親への賠償には、もし誤診がなかったら、胎児を中絶できたという前提があり、産むか産まないかを自己決定する機会を奪われたことへの賠償を求めるもので、「ロングフルバース(wrongful birth)訴訟」という。一方、子への賠償を求める根拠となるのは「生まれてこない権利」があるという考え方で、子自身を主体とし、誤診がなければ苦痛に満ちた自分の生は回避できたとする訴えで、「ロングフルライフ(wrongful life)訴訟」という。そして、この裁判は、日本で初めてのロングフルライフ訴訟として注目を集めることになったのである。
裁判の結果は、両親への賠償請求を認める一方で、子への賠償請求は却下するものであったが、この裁判が提起した問いは、たったひとつの判決で解決され得るものではなく、その本質は、「誰を殺すべきか。誰を生かすべきか。もしくは誰も殺すべきではないのか。」というものである。そして、私たちの社会では、産むか産まないかという命の選択がこれまで行われてきたし、その選択のための検査は益々進歩し、今も、異常があったら中絶することを前提とした出生前診断を受ける人は増え続けており、その答えは、そう簡単なものではないのだ。。。
読後感としては、自分の立ち位置・考えが定まらず、必ずしも居心地の良いものではない。しかし、著者は「あとがき」でこう語る。「心の中に澱のように沈む割り切れない違和感こそが問題の複雑さであり、核のような気がしてならない。その違和感を放すことなく抱きしめながら、光(原告となった母親)の話に耳を傾けて欲しい。そこから見えてくるのは、命に直面した人間の苦悩であり、愛する子どもを亡くした親の絶望であり、それでも前を向こうともがく生命の剛健な姿である。」
胎児の命、人の命とは何かを考えさせられる、力作といえるノンフィクションである。
(2021年5月了)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2021年5月6日
読了日 : 2021年5月6日
本棚登録日 : 2021年4月6日

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