超整理法 続 時間編 (中公新書 1222)

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  • 中央公論新社 (1995年1月25日発売)
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続「超」整理法・時間編―タイム・マネジメントの新技法 (中公新書) 新書 – 1995/1/25

ノウハウは、人間の怠慢さに寛容なものでなければならない
2017年11月26日記述

野口悠紀雄氏による著作。
1995年1月25日初版。

マジカル・ナンバー・オブ・セブン、ワーキングメモリ、
限界効用逓減の法則、属性が多次元だと増大する人間の識別能力、
人間は空間との類推でしか時間を認識できない・・
その後の野口悠紀雄氏の著作にも登場する内容が書かれている。
それだけ重要でかつ普遍的な内容だということだろう。

FAXについての使い方が載っており時代を感じる。
ただ不動産業や一部業界ではまだ現役なので本書は
大変参考になるに違いない。
また口頭に頼らず文書を活用するその考えは
今の時代でも通じる。

本書で参考になる点を引用してみたい。

「あまり辛い思いをしないで、うまくゆく方法はないものか?これは、いささか虫のよい要求である。しかし、それに応えてこそノウハウではないか、と私は思う。努力すれば成功するというのは、ある意味では当然だ。ノウハウは、人間の怠慢さに寛容なものでなければならない。これが、私の基本方針である。ノウハウがないことについて精神訓話で片づけようとするのは、旧帝国陸軍以来の悪しき伝統だ。」

「これらのうち第一点は、ノウハウのレベルを超える問題だと、私は思う。これが大変重要なことは間違いない。しかし、本書は基本的にはこの問題は扱わないことにする。カミュが『シジフォスの神話』の最初で述べているように、これは哲学の問題である。」

「デッドラインのまぎわになると、いくつかの特有な症候群が現れる。第一に、焦ると方向を間違えがちである。山で迷った人が焦って歩き回り、とんでもない方向に行ってしまうようなことが起る。…第2に、無理をして疲れ、疲れると能率が下がる。こうして悪循環に陥る。第3に、他人の協力を得にくくなる。…第4に、気が立っているところにのんびりした案件が入ってくると、つい応対が乱雑になる。先方はこちらが追いつめられているのを知らないから、心証を害し、人間関係が悪化する。第5に、時間の余裕がないために、新しい仕事で重要なものが出てきても、断らざるをえなくなる。その反面で、居座っている重要度の低い案件には、時間を割かざるを得ない。こうして、時間の使い方が、きわめて不合理なものになる。これらの症候群を『まぎわシンドローム』と呼ぼう。」

「人間が時間を知覚する仕方は、他の物理量に対するものとは明らかに異なっている。時間以外の物理量は、長さも重さも温度も、すべて5感で感じることができる。しかし、時間は見たり触れたりすることができない。人間の時間感覚があやふやなのは、熱中しているときには時間の過ぎ方が速く、退屈なときには遅いということで、誰でもが経験している。人間は空間との類推によって時間を把握している。幼児は、まず『ここ、近い、遠い』という空間の感覚を会得し、次に、現在という時間が『ここ』と似ていること、未来の遠い時間は前にある空間の遠いところ、過去の遠い時間は後ろにある空間の遠い場所と似ていることを知る。…アインシュタインの相対性理論においても、時間は第4の次元として把握されている。このように、最先端の物理学においても時間は空間の一部として理解されており、しかも、その方法が成功を収めているのである。このように人間が空間との類推でしか時間を認識できないことからも、時間を目で見るという工夫が、本質的な意味を持っていることがわかる。」

「このボードを見ると、未処理案件が一覧できるので、なすべき仕事の全体像が把握できる。カテゴリー別の重要度がわかるので、『面』で見える。『点』であった仕事が、一覧スケジュール表によって『線』となり、TOーDOボードによって『面』として把握されたことになる。…いま1つの効用は、『仕事はこれだけ』と確認でき、精神的に楽になることだ。普通の手帳では、かかえている仕事の全体が一覧できないため、『何か残っているのでは?』との漠然とした精神的負担がある。仕事リストを記憶するという作業はTOーDOボードにまかせて、脳をもっと創造的な仕事に専念させるほうがよい。ポストイットを使うのは、編集のためである。」

「イギリスの詩人コールリッジは、『クラブ・カーン』という詩を50数行目まで書いたとき、訪問客に中断された。わずか数分の中断だったが、机に戻ったときには詩のイメージは失われており、そのため、英語でもっとも美しいといわれている作品が未完のままになっているというのである。」

「移動や探し物のための所要時間には、かなりの不確実性がある。また、他人の協力も、すぐに得られるかどうか、不確実だ。したがって、これらは、スケジュールの早い時点に置く。…よく、仕事の『段取り』が必要といわれる。段取りで最も重要なのは、不確実性の判断と、それへの適切な処置であろう。」

「一般に、ある仕事だけに時間を使っていると、能率が次第に落ちてくる。…これは、一杯目のビールはうまいが、何杯も続けて飲むとさほどでもなくなる現象と、基本的に同じものである。これを経済学では『限界効用逓減の法則』と読んでいる。…まず、『拙速(せっそく)原則』は、この法則の直接の応用である。これは、1つの仕事に拘泥していると、限界効用が低下してしまい、非効率的な時間配分になることを述べている。人為的に締切を設定して時間の制約を厳しくするのも、限界効用逓減法則の応用である。時間制約が厳しい場合には、使われる時間の限界効用は高くなっている。これに対して、制約がゆるんでくると、限界効用の低い仕事や用途に時間を使うことになる。*『小人閑居して不善を為す』という。」

「日本の組織において、文書によって表されている『建前』は形式に過ぎず、多くの場合に虚構でさえある。そして、組織の運動の実態を規定するのは『本音』である。建前は、インサイダーの間では『そう堅いことをいわず』という論理によって、いとも簡単に無視される。だから、文書に表れた規則に忠実に行動していると、多くの場合に『正直者が馬鹿を見る』という結果になる。その半面で、書かれていないオキテが組織構成員を厳しく支配している。そして、『腹を割って』話合える間柄にならないと、そのオキテが見えてこない。これらのオキテは,多くの場合に合理的な論理の否定であり、既得権者の現状維持願望の反映である(それゆえに文書に書かれていない)。従って外部の者には、組織の本当のルールが分らない。私は、日本の縦社会を横に歩いてきたので、組織をアウトサイダーの目で見る癖がついてしまった。そのため、日本型組織のこのような特質に、深い怒りを覚えてきた。外国人が日本社会を見て、閉鎖的、不透明と批判するのは、まったく正当であると、私は思う。」

「第一は、産業構造の変化である。チーム精神が必要なのは、比較的単純な技術で大量生産を行う場合である。しかし、これからの日本におけるリーディング・インダストリーは、革新性や創造性をより強く要求されるものに変っていく。従って、組織においては、同質性を強調するのでなく、異質なメンバーの接触から新しいアイディアを引出すことを重視しなければならない。このためには、文書による連絡方式に転換することが不可欠になる。」

「報告事項については、事前に書類を配り、質問だけを会議で受けるようにしたらよい。『会議時間の大部分が資料説明で費やされる』などというのは、愚の骨頂だ。考えてみると、報告を聞くために一堂に会するというのは、コピー機がなかった時代の遺物ではなかろうか。」

「通常、本の情報の8割は、分量では2割の箇所に集中している。したがって、その部分を読んで必要な情報を手に入れたら、それで本を閉じる方が良い。」

「心理学実験の結果から根拠づけたのが、1956年に『サイコロジカル・レビュー』誌に掲載された、『マジカルナンバー・オブ・セブン』というタイトルのミラーの論文であった。たとえば、音の高さの識別に関して言うと、高低という2種類しかない場合、被験者は、聞かされた音がどちらかを完全に識別できる。高・中・低という3種類でも同じである。ところが4種類あると、若干の混同が生じる。そして、5種類以上になると、かなりの混同が生じる。結局、識別できる最大数は平均して6程度だというのが、この実験の結果であった。同じような実験が、音の大きさ、味覚、直線上の点の位置、4角形の大きさなどについてなされたが、どれに関しても、識別できる対象の最大数は、ほぼ7であった。性質の異なる対象に関してこのように類似した結果が得られることは、学習能力あるいは神経組織の構成のために、人間の判断能力に制約が課されていることを意味するのであろう。これがミラーの得た第一の結論であった。」

「スケジューリングは難しい作業であると述べた。その最大の理由は、右に見た人間の認知能力の限界である。*古典的な経済学では、個人や組織人が完全な合理性を有し、最適な決定を行うものと想定して理論を組立ててきた。しかし、認知限界を考えると、人間はこうした行動をとることはできない。サイモンは、このような観点から、『満足化』という基準を提唱した。」

「人間の識別能力は、なぜ対象の属性が多次元になっていると増大するのであろうか?ミラーは、その理由を、生物の進化過程に求めている。常に変化してやまない環境では、少数の属性に関して多くの情報を得られるよりも、多数の属性に関して少しずつの情報を得られる方が、適応性が高いというのである。たとえば、音の高さに関してはきわめて微細な変化も感知できるが、音の大きさは識別できないような生物がいたものとしよう。このような生物は、危険が接近するのを感知できないから、滅んでしまうだろう。」

「分業における専門化が望ましいというのは、不確実性がさほど大きくない場合の結論である。不確実性が十分大きい場合には、ミラーが指摘したように、『変化する状況への適応』という目的が優先する。国際貿易理論における『比較生産費の理論』(各国はあらゆる生産物を自国で生産するのでなく、最も得意とする産業に特化し、国際貿易を行うべきである)が現実に影響力を持たないのは、このためだ。」

「本書でも『超性理法』でも、我々が頻繁に遭遇する諸問題に名前を付けた。本書では『中断シンドローム』『まぎわシンドローム』などといったし、『超整理法』では、『こうもり問題』『家なき子ファイル』などの名を付けた。これは、面白がって付けたのではない。問題の所在を明確に意識するのが目的である。『書類を分類するとき、複数の項目に該当するため、どちらに入れてよいかわからず、悩むこと』といっても、ピンとこない。しかし、『こうもり問題』という1つの言葉でそれを表現すれば、人々は、問題の所在を明確に意識し、覚えていることができる。」

「ミラーは、前記の論文の中で、認知限界としての7と、ワーキングメモリの容量の7とは、異質のものであると指摘している。…つまり、短期記憶の制限は、情報量に関して課されているのではなく、塊に関して課されているのである。1つの塊に多くの情報が含まれていても、塊が七個までは覚えられる。」

「ワーキングメモリは、きわめて速く揮発してしまう。特別の努力をしないと、一分で消えるといわれる。」

「要注意事項についての情報を、強制的に意識に引出す必要がある。このためには、鉄道職員がやっているような『指差し点検』が有効である。他のことに気をとられていても、身体を動かすことによって、確認作業をワーキングメモリに呼出すことができる。私は、このような確認動作をいくつかの場合に常に行うように、心がけている。たとえば、研究室を出るときには、電気機器を実際に指さして確認する。」

「現代の世界でも、定刻を守ることになじまない社会がある。地中海文化圏やアラブ諸国に見られるこうした時間観を、ホールは、『ポリクロニックな時間』と呼び、北アメリカ、ドイツ、日本などにおける『モノクロニックな時間』と対比している。*エドワード・T・ホール、宇波彰訳、『文化としての時間』、TBSブリタニカ」

「『定刻に遅れる』ことが、地位を誇示するメッセージとして容認されていることである。この点は、第六章で述べた。これは、日本だけでなく、世界のどの国でも行われている悪い慣習である。一般的には時間に対して厳しい北アメリカ社会でも、オフィスで来客がどのくらい待たされるかは、用件の重要性と社会的地位に関するメッセージの伝達とみなされている。…あらかじめ約束した定刻であれば、それに遅れるのは大物の証拠ではなく、逆に小物の証拠である。我々は、世界に先んじて、このような社会的通念を確立すべきだと思う。」

「ある外資系の企業では、シンポジウムで列車の座席を手配するときに、メンバーが別々の席になるゆおに配慮している。日本の伝統的な考えでは、同じグループの人たちは列車の中でまとまって座って歓談できるようにするのが当然ということになるだろう。しかし、個人の時間を大切にするという発想からすれば、これとは全く逆の配慮が必要になる。」

「本書で述べたノウハウは、中断しない時間帯を確保し、無駄な時間を節約し、また持ち時間を増やすためのものである。これらすべては、『何か』を行うためのものである。では、『何か』とは、具体的には何なのか?それは、ライフワークの遂行かもしれないし、友人や家族との語らいかもしれない。あるいは、地上から見える星をすべて見ることかもしれない。しかし、本書は、右に述べた立場から、これについては沈黙を守った。」

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2022年1月16日
読了日 : 2021年12月6日
本棚登録日 : 2021年12月6日

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