スミレのように踏まれて香る (朝日文庫)

著者 :
  • 朝日新聞出版 (2012年9月7日発売)
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いずれにしても、人と比べて自分の生活のペースを乱されているようなときに、私どもが心しなければならないのは、人は、自分の、なるべき姿にさえ向かっていれば、劣等感を感じる必要はないということ
言うべきことは、言うべきように、言うべき態度で言うこと。さらに自分の意見を引っ込めるべきときに、引っ込めるべきことを正しい態度で引っ込めること。
世界は「自分のため」だけにあると考える人よりも、「二人のため」と考えられる人は幸せである。「みんなのため」と考える余裕を持ち、そのように生きる人は、もっと幸せであろう。
私は時おり、ひとりになることによって救われるように思う。
男のような女性の多い中に美しく存在する女らしい女性、知性のひらめきと、豊かな、しかし静かな感情にあわせて、強い意志の力を心の奥に秘めている女性、ユリのように清楚で、礼儀正しく、素直な女性、謙遜であるがゆえに、何事も恐れない積極性と、正しい自我像を持っている女性、人命の軽んじられている世にあって、人の生命の尊さ、美しさを知り、物質的な物の考えかたをしている人の多い世に、真の幸福が心の中にあることを認識し、自己中心の世の中に、喜んで小さな親切を他人のためにする女性ーーこのような女性こそは、今の世の中に「新しい女性」として登場するのではなかろうか。
誠実を口にする前に、まず人は思いを正すことを忘れてはいけない。自分がなり得る、最善の姿に達する努力を怠りながら、「誠実」をふりかざすべきではない。いつわりの自分の姿を見せるのが誠実ではないのと同様に、あらけずりのままの自分を、むき出しにすることも必ずしも誠実とは言えない。誠実という徳には営々として続ける努力が裏打ちされているはずだ。
「できる」ことが必ずしも「してもよい」ことにはならない。
「安易な人生を願うよりも強い人となることを、自分の力にふさわしい仕事を求めるよりも、与えられた仕事を仕遂げる力を願うことを」
「しつけ」とはご存知のように、和裁でむずかしい、またはたいせつな個所にかけるもので、どこにでもかけるものではありません。キーポイントにかけるものです。しかも縫いあがった後には抜き取られてしまい、結果としてきちんと整った衣服が美しい姿で残ります。このように子どものしつけも、しつけそのものが目的ではなく、将来りっぱな美しい姿としてできあがるように、愛情をこめて忍耐強く、子どもの成長のための手段として見なされるべきもので、見栄や虚栄のために動物に芸を仕込むように、無理に教えこむものではありません。
ことし一年、私たちの喜び、悲しみ、悩みは、おのが身を他人と比較してのそれではなく、自分が、なるべき最善の姿に近づいているか否かに対しての喜びであり、憂いでありたい。
人間はめいめい与えられたタレントを後生大事に持っているだけではいけない。それを世のため、人のために活用することの重要さを教えている。私たち人間の価値は、生まれた時にもらったタレントの多寡にあるのではなく、それを何倍にもふやす努力にあることを教えている。神における平等とは、決して人間に等しく同額のタレントを与えることではない。個々の人間が、その理性と自由意志をもって、与えられたタレントをもとでに独自の人生を送る。その機会の平等を言うのである。

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カテゴリ: その他
感想投稿日 : 2014年6月15日
本棚登録日 : 2014年6月15日

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