仏像は有名なものも沢山あるが、言われて見れば「神像」というものをあまり意識したことはなかったような気がする。
日本の神には元々あまり決まった姿がなく、自然現象や山体といったものをそのまま拝むという傾向があった。それが仏教とともに仏像という概念が輸入され、神の姿を描く絵や木像が作られるようになった。
特に木造に関して特長的なのは、素材感を強く出すものが多い、という点である。彫刻刀の彫り跡も生々しい「鉈彫り」など、木の質感を強調し、根や節などもともとの木の形を生かしているものがある。秋田県白山姫神社の女神立像などがそれである。
また、今挙げたように特に名前のない、「男神」「女神」「童子」といった像も多い。名前はさておき、木や石の中から姿を現した神、ということだろうか。
仏像が比較的整った印象のものが多いのに対して、神像は割りとフリーダムなものが多い。好みの分かれるところかもしれない。
神仏習合、廃仏毀釈というものがあってそもそも神道というものの原型が今となっては多くが喪われてしまったわけだが、もともと姿がなく、変幻自在であるのが日本の神なのであって、だからこそどこにでも形を変えて入り込み、日本人の心の中にあり続けるのではなかろうか。
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
エッセイ
- 感想投稿日 : 2017年12月13日
- 読了日 : 2017年12月13日
- 本棚登録日 : 2017年12月13日
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