地獄での一季節

  • 大修館書店 (1989年11月1日発売)
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・語り口がちぐはぐだと思ったら、それが原文の特徴だったようだ。
・私には内容は理解できなかった。けれど、この作者は魂のありのままを映した言葉を読者向けに翻訳する必要がなく、他者など関知しないのではないだろうか。
・表題へのこだわりからもわかるとおり、訳者は表層解釈を徹底し、原文の意図を精確に伝える旨を第一としている。その姿勢は非常に意義深いと思う。

(以下、解説からの引用)
■「『地獄での一季節』をめぐって」より

「Une saison en enfer という表現には、その前に、「私は過ごした」J'ai passé を付けることができよう。つまり「私は地獄で一季節を過ごした」となる。それを踏まえて『地獄での一季節』とした。「一季節を地獄で」としたいところである。」(p.88)
「『地獄の季節』という古くから行われた訳題は、座りがよいが、(中略)「地獄の諸季節」つまり「地獄の四季」となる。または、(中略)「地獄のような(つらい)季節」となりかねない。」(P.89)
「さらには、『地獄での一季節』という訳題を選ぶことには、この散文詩全体が「その季節は過ぎ去った」と語っているという認識を示すことになる。」(p.89)

「原文はべらべらしゃべっている感じの箇所が多い」(p.83)
「最大の特徴は語り口がひらりひらりと変わる点にある。(中略)キリスト教は肉となり心に食い入った存在であり、それと戦うのは内なる自分と争うに等しいのだ。その心の揺れが極端から極端へ走る言語表現の転換に現れている。」(p.84)
「原文の口調の変化を追うことが主眼であった。一人称主語も「おれ」「ぼく」「私」「我」と使い分けた。」(p.85)
「第二次世界大戦のあと、ブイヤンヌ・ド・ラコスト氏が筆跡等の検討から、ランボーの最後の作品は『地獄での一季節』ではなく、『イリュミナシオン』の一部は『地獄での一季節』執筆よりあとであるとした。このことも『地獄での一季節』の印刷本を焼き捨てて文学に別れを告げたというランボー伝説の解体に力があった。」(p.87)

■略年譜より
1872年1月 一時カンパーニュ・プルミエール通りに住む。(のちにリルケ、フジタ、辻邦生、篠沢秀夫が違う時代に住んだ。)(p.93)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2011年3月22日
読了日 : 2011年3月20日
本棚登録日 : 2011年3月20日

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