1956年に書かれたとは思えないくらい、現代にも通用する愛を巡る状況。人は市場原理に支配されたことで、愛することが難しくなってしまった。
愛することは技術である。
愛とは「恋に落ちる」ような一時の燃え上がるような感情ではない。愛とは与えるものであり、人として合一になることである。
人を愛せない人は、自身のことを愛していない。
愛するために必要なことは、客観性と信じること。客観性とはつまりナルシシズムからの脱却であり、ありのままを見つめること。
信じるとは可能性を信じることであり、自分自身を信じなければ他者も信じることはできない。
愛する技術を習得するためには、規律と忍耐と集中が必要。自分1人でもいられるように、自分を律し、今を生きることに集中すること。
内容的に、キリスト教色が強かったり、ジェンダー観が受け入れがたいところもありますが、そういうところは書いてあることを表面的には捉えるのではなく、一番言いたい核心は何なのかという視点で読むことが必要。
*以下、メモ
最近この手の本を読むと思い出すのが、嫌われる勇気で言及されていた、アドラー博士の言う「共同体感覚」である。別のところでは「共通の人間性」と表現されていたこともあった。
表面的には様々な違いはあれど、人の求めるところは根本では共通であり、それを体感することで他者と一体になる感覚が得られる。私自身、それを体感した覚えがある。
本著と繋がることとしては、人は誰しも愛し愛されたいと思っているということ。これが共通の人間性であり、これを体感すると人というものが皆同じものを志向する共同体であると感じられるようになる…のではないだろうか。
うーん、書いててよくわからなくなってきた。また読み返したい。
- 感想投稿日 : 2019年3月27日
- 本棚登録日 : 2015年1月16日
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