国家 上 (岩波文庫 青 601-7)

  • 岩波書店 (1979年4月16日発売)
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哲学史を3冊読んで、さぁ、一次資料(翻訳だけど)と思って、まずは何からか、プラトンの国家か、と。
分厚い、、、。岩波文庫、、、。めんどくさそう、、、。とずっと敬遠してきたのがアホらしくなるくらい読みやすい。
岩波文庫の上巻は、もとの1〜5巻を収めているが、1日1巻ずつ、5日で読めた。500ページくらいなのに。

現在でこれを読むのは少し注意が必要かもしれない。素朴の極みだけど共産主義的であるし、ファシズム的に誤読できる部分もあるので、そこの立ち位置を自覚してないと高校生頃の自分が読んでたら思わず勘違いしそうだ。

そう、高校のころ、友達が「饗宴」とかを読んでた。僕も図書館で、「ソクラテスの弁明」を少しだけ立ち読みした。
哲学はその頃から興味はあったけども、どの本を読んでもそこには前提としている感覚があって、それを共有できてないことには一行ずつに中身と理解が乖離していく。
なんでこんなもん読めるんだ、「存在」とか「感覚」とかをその都度に定義せずにどうして厳密に使えるんだ、と腹立たしくもあった。それは割と今もそう思ってる。お前の言っている「感覚」や「意識」は、なんのことなのかまず説明しろ、と思う。

「ツァラトゥストラ」や、「死に至る病」など、冒頭だけ読んだ哲学書はいくつかある。でも、最後まで読むことは少ない。
大学生になって、カミュの「シーシュポスの神話」に衝撃を受けた。不条理!そう!不条理!と喝采したものだけども、それも最後まで読んでない。そろそろちゃんと読みたいと思ってる。あんな薄い本。
その頃、「アンチオイディプス」とかが文庫になって、かっこつけて読むのがまわりで流行ったけど、そこにもいけなかった。
ブコウスキーのほうがかっこよかった。

話は逸れたが、そういう紆余曲折を経て35歳、プラトンに戻ってきたのだ。高校生の頃の「弁明」から20年経った。この一歩に20年かかった。

そこで衝撃的な読みやすさに出会って肩透かしをくらいつつ、次にいくつもりだったアリストテレスの「形而上学」を立ち読みして、またちょっと挫折の気配を感じつつ。

プラトンがイエス・キリストより400年近く歳上ということに驚く。
「国家」の中には、「これは時代が既にキリストを待ってるじゃないか」と思うようなところがいくつもあった。

素朴な演繹法で続けられる対話は、正直、読むのが辛い(飽きる)ところもあるけども、「対話」という型へのこの信頼はどこからきてるのだろうか。ほとんど独演になるんだから、対話じゃなくて良いのではないか、と思うけども、ソクラテスが対話の人だったので、哲学するのと対話するというのがそのままプラトンではひとつのものだったのだろう。

さぁ、(下)に突入します。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2018年11月18日
読了日 : 2018年10月9日
本棚登録日 : 2018年11月18日

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