「愚真礼賛」で有名なエラスムスの著書である。エラスムスの著書を初めて読んだが、自分と考え方が似ていると感じた部分が多々あった。
宗教改革前夜、時は中世に終わりを告げ近世に入っていこうとする、まさに歴史の転換期でもあった。
その時の世界といったら、相も変わらず国と国との戦争、そして宗教と宗教との対立が続いていた時代であった。
そんな中、エラスムスはひたすら平和を訴える。 本書はそんなエラスムスの平和への訴えを直接表したものである。
ただひたすら平和と愛を説いて死んだイエスを慕い、その言葉に生きようとするキリスト教徒であるはずなのに、彼らがまさに戦争を始めているという事実。
さらに皮肉なことに、彼らの争う対象もまたキリスト教徒なのである。
それでは戦争を支持する教皇はいかなる状況かと言えば、権威の象徴であった律法学者たちの教えを否定し、地位も名誉もないような者たちを愛していったイエスの行動に反し、彼らは権力に溺れ、地位や名誉に溺れていたのである。
特に当時はキリスト教の絶頂でもあり、世界はキリスト教を中心に動いていたといっても良いだろう。
ゆえにキリスト教同士が憎しみと恨みの思いを抱き続ける限り、平和への道はないのである。
こうした現状をエラスムスは鋭く批判しながら、ひたすらに平和への訴えと、戦争への反対意思を示している。 このエラスムスの訴えは現在にも大きく当てはまる指摘である。
イスラムとキリスト教のみならず、宗教の多くが平和と幸福を渇望しているにも関わらず、宗教同士で争い、さらにひどくなれば宗派と宗派に別れて殺しあう始末。
こういった現状に対し、今世の中では、このエラスムスのように平和を訴えるような書物があまり普及せず、特に我々日本人の中においては、関心の届かない問題であるという現実が、また問題でもある。
- 感想投稿日 : 2011年10月2日
- 読了日 : -
- 本棚登録日 : 2011年10月2日
みんなの感想をみる