白光

著者 :
  • 文藝春秋 (2021年7月26日発売)
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感想 : 63
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日本人初の聖像画(イコン)画家・山下りん(聖名・イリナ)の半生。
明治・大正・昭和という時代の変遷の中でロシヤ正教会にて聖像画を描き続けた、宗教に身を捧げる健気ながらも芯の強い女性…というイメージは見事に覆された。

絵師になりたいという思いで突っ走るりんは明治の女性らしく意志が強いが自己主張と自信が過ぎる。
上京し次々と師を変えて四人目の中丸精十郎でやっと落ち着く…いや、落ち着かない。
その中丸からは『逃げの山下』『見切りのおりん』というあまり嬉しくない異名を付けられるが、皮肉にもその通りになっていく。

これは「ボタニカ」以来の好みに合わない作品か…と不安になった。
何しろ聖像画との出会いも何か天啓のようなものがあった訳ではなく、ロシヤ正教会信徒になったのも『格別の決心』をしたわけではない。

極めつけはロシヤの女子修道院での修業時代。
五年の予定を二年弱で体調不良により帰国するのだが、その間、ニコライ主教・女子修道院側の思惑とりんの希望とが全くかみ合わず思うような勉強は出来なかった。
修道院副院長や工房責任者とはしばしば衝突、時には罵り合いのようなことまで。よく修道院を追い出されなかったなと読みながらハラハラする。

帰国後はロシヤ正教会に戻り聖像画を描き始めるが、ここで再び『見切りのおりん』が発動する。それは正教会に対してではなく、自身に対してだった。
洗礼を受け聖名も授けられたのに自分には『神を想う心がない』と分かったのだった。

え、この期に及んで?と驚くが、りんは当初から絵で身を立てたいだけだった。西洋画が向いていると中丸に言われ美術学校に入学したものの諸事情により退学、ロシヤ正教会で西洋画に触れ、ニコライ主教からロシヤに行って絵の勉強をしておいでと言われれば西洋画の勉強が出来ると思うだろう。だがニコライ主教の考えはそうではなく、りんを日本人初の聖像画家にすることだった。

結果的に『逃げの山下』『見切りのおりん』は彼女の前半生だけで、その後はしっかりと腰を据えているのでホッとした。また『あやまちばかりの、吹雪のような』ロシヤ時代も後の彼女には必要なものだった。
彼女の信仰心がどこからどう芽生えたのかは分からないが、その原点がニコライ主教の人柄であるのは間違いないだろう。

この作品では聖像画は芸術であってはならないとされ、そのことがりんを苦しめるのだが、例えば仏教では仏像を金箔できらびやかにするし仏画も極彩色なものが多いのでその感覚がよく分からなかった。
聖像画は宗教画ではないので、より美しくより華やかにという画家の作意が入ってはいけないとあるのだが、信仰と芸術が両立する世界があっても良いじゃないかと思ってしまうのは私に信仰心がないからだろうか。

身内からは『不縹緻』で『不愛想者』、ロシヤでは『些細な才を鼻に掛け』『画業に身を入れない』と散々な言われようだ。怒りで感情を爆発させるときは能弁だが普段は無口で何を考えているか分からない。
だがそれだけなら小説にはならない。
りんはロシヤ人を『人見知りが強いが、ひとたび心を許せば親切で陽気』と評したが、この作品のりんはその通りの人物だった。

ニコライ堂の由来となるニコライ主教(最終的には大主教に昇格)やロシヤ正教会の歴史も辿ることが出来た。ニコライ主教は懐の深い人物だったが、他の司祭たちは必ずしもそうではないし平然と差別もする。日本に初めてチェーホフ作品を紹介したという瀬沼郁子もクセの強い人物として描かれている。
日本とロシヤとの関係が悪化する中でニコライ主教が亡くなるまで日本に滞在していたとは知らなかった。そちらの物語も知りたい気がする。

※作中でのロシア=ロシヤの表記に倣い、レビューでもロシヤ表記にしました。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ドキュメンタリー・実在モデルドラマ
感想投稿日 : 2022年6月28日
読了日 : 2022年6月28日
本棚登録日 : 2022年6月28日

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