クロコダイル・ティアーズ

著者 :
  • 文藝春秋 (2022年9月26日発売)
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 幸福に日々を営んでいた家族に突然訪れた災難。疑心暗鬼が生む亀裂。信頼で結ばれていた関係の歪みが徐々に大きくなっていくさまを描くサスペンスミステリー。第168回直木賞候補作品。
         ◇
 鎌倉の老舗陶磁器店の跡取り息子が刺殺された。犯人は被害者の妻のかつての交際相手だった男で、未練からくる逆恨みによる犯行と思われた。

 だが裁判が結審し判決を言い渡された瞬間、被告の男は被害者の妻に頼まれてやったことだとまくしたてた。
 ざわつく傍聴席。動揺を隠せない被害者の両親。そして顔色を変えたものの、毅然とした態度で法廷を後にした妻。

 判決後、平穏を取り戻したかに見える久野家だったが、生じた歪みがしだいに大きくなるのを止めることはできなかった。

 はたして被告席で男が叫んだことは事実なのか。そして事件の真相は。

     * * * * * 

 さまざまな要因が絡み合い、起こるべくして起こった家族の崩壊。それはこの家族の特殊性が大きいのではないだろうか。そう思います。

 殺された康平は妻子に冷たかった。妻に対する暴力や息子に向ける冷眼は酷いのひと言。
 そもそもそれがなければ、隈本につけこまれることもなかったろうし、隈本がコンタクトをとってきた時点で想代子はすぐに康平に相談できたはずです。
 康平は自滅したと言えるでしょう。

 姑の暁美にはもともと想代子に対して含むところがありました。ひとり息子を取られたからか、美人で男受けする想代子へのやっかみゆえか、対応に冷えがあるように思います。
 それが下地となって、事件後の想代子への疑心暗鬼を生み出したのではないでしょうか。嫁に対する姑の悪感情。百害あって一利なし。
 暁美もまた自滅していったと言えます。

 暁美の姉の東子もひどく筋のよくない女でした。想代子に対して打ち解けてもいないし、康平の死の直後に優しい声かけもしていない。
 元来が派手好きで騒動を好む性分なのでしょう。想代子に対する暁美の猜疑心を煽り立て、嫁姑間の亀裂を大きくするだけでした。
 それでいて穀潰しの夫には甘く、夫の辰也が妹婿の貞彦を裏切り店に打撃を与えることに気づきませんでした。挙げ句に、夫婦して事故死するのだから自業自得です。( 仮に想代子からの鉄槌だとしたらなおさらいい気味だ。)

 そして嫁の想代子。
 美人で男の気を引いてしまうのは想代子のせいではありません。隈本に言い寄られたり、康平に妙な疑いをかけられたりするのも、気の毒としか言いようがないことです。
 けれど、同性から向けられる悪意含みの感情にもっと気をつけるべきだったとは思います。おっとりしていて、あまり負の感情を見せないのも性格なのでしょうが、もう少し上手に立ち回る必要があるのではないでしょうか。( 舅の貞彦にはうまく接していたけれど。)
 
 エピローグ部分。久野家の面々はみな鬼籍に入り、老舗陶磁器店は想代子が引き継ぐことになりました。
 焼き物についてはまったくの素人だった想代子だけれど、貞彦を手伝いながら熱心に勉強した甲斐あって目利きもできるようになり、貞彦が目指した店の拡充も想代子が成し遂げます。上辺からは想像できないバイタリティです。
 康平の死の前後は情緒不安定だった息子の那由太も立派な跡継ぎに成長しており、ラストはすっきりした後味でした。

 ところで、タイトルになった「クロコダイル・ティアーズ」。嘘泣きのことなのですが、想代子のそれは「ワニの涙」とは違うものではないでしょうか。

DV 夫の死にはさほどの悲しみを感じていないのは確かで、そういう意味では嘘泣きです。
 でも獲物を食い殺しながら流すというワニの涙とは違う。隈本と共謀して夫を死に追いやったわけでも、その後の店の乗っ取りを画策しようと思っていたわけでもないからです。食い殺してはいないのです。

 ただ、自分にとって味方でいてくれるのか敵に回るのかを敏感に察知して対応を変えるしたたかさは随所で見られました。また、「棚からぼた餅」のようなチャンスを逃さない賢さも持ち合わせているとは思います。
 さらに、陶磁器店の経営権を手にするや自分の考える店作りを着々と進め、軌道に乗せてしまう経営手腕は称賛に値するでしょう。窯元との関係も良好で、支店も含め順風満帆です。
 
 雫井さんの作品で同じように家族を襲った災難を描く『火の粉』のようなサスペンスミステリーというよりも、美人女将の一代記として、楽しませてもらいました。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: サスペンスミステリー
感想投稿日 : 2023年9月30日
読了日 : 2023年9月30日
本棚登録日 : 2023年2月18日

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