冬に子供が生まれる

著者 :
  • 小学館 (2024年1月30日発売)
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感想 : 48
5

『鳩の撃退法』では、どこまでが現実の話で、どこまでか小説の話なのか理解するのに苦労した。
『月の満ち欠け』では、誰が誰の生まれ変わりなのか理解するのに苦労した。
そして本書『冬に子供が生まれる』では、どれがマルユウでどれがマルセイなのか理解するのに苦労した。
でも仕方ない。作者がそういう風に書いているのだから仕方がない。小説は、一度で理解できるように書かなければいけないという決まりはない。あえてミスリードするように書いているとすれば、それは登場人物たちの混乱を、そのまま伝える意味もあると思う。
しかし、それでもやっぱり謎は残る。この小説の書き手である湊先生も真相は知らないし、マルセイとマルユウの証言も不明瞭だ。作者は古くからの文学の作法に則り、読者に解釈の余地を残してくれている。長くなるが、以下はこの作品に対する私なりの「考察」である。


〈要点整理〉
★マルユウ(丸田優)
子供のときから野球が得意
右利き左投げ
高校では野球部のエース
大学進学後、野球への興味を失う
現在は医療事務の仕事に就く

★マルセイ(丸田誠一郎)
ギターが上手く、高校で注目を集める
ワッキーと一緒にバンドを結成するが、上京後に突如脱退
大学を中退して職を転々とする
ビルの最上階から転落して死亡


〈考察〉
小学二年生(8歳)のとき、2人の丸田少年と佐渡君は、天神山でUFOを目撃する。それが地元の新聞に載り、ちょっとしたニュースになる。
(補足すると、新聞の取材は当然ながら目撃の当日ではなく、取材時に佐渡君は入院のため不在だった。だから写真には2人の丸田少年しか写っていない。)
高校卒業間近(18歳)、当時取材した記者が再び3人を天神山に連れ行く。しかし、そこで事故が起き、記者とバイクで先導した先生が死亡。3人だけが無事に助かった。
この事故のとき、マルユウとマルセイが「混線」した。明白な「入れ替わり」ではなく、本人たちも混乱していた。マルユウは真秀と親密な関係になりつつあったにも関わらず、大学進学後に高円寺まで尋ねてきた彼女を冷たくあしらった。そのときの彼の態度は明らかに「マルセイ」だったが、本人には自覚がないようだ。そのため、2人のやり取りはちぐはぐなものとなる。
マルユウが「マルセイ」になったとすれば、マルセイも「マルユウ」になっていたはずである。マルセイが突然バンドを辞め、マルユウも野球を辞めてしまった理由はここにある。そして「マルユウ」が乗り移ったマルセイと、真秀は結婚する。
マルセイが湊先生と再会したときも、彼は同時に「マルユウ」だった。しかし、本人はやはり混乱していて、「自分が自分じゃないような気がする」「マルユウの人生を代わりに生きてるんじゃないか」などと語る。
その後、湊先生を脳梗塞の危機が襲う。マルセイはそれを超自然的な力で救う。その力は右手首の痣がもたらしたものだった。この痣は、もともとマルユウのものである。それが18歳のときの天神山の事故で、マルセイに複写された。この痣には不思議なパワーが宿っており、マルセイはそのパワーを使ってバンドをメジャーデビューさせ、また真秀と結婚した。だが、パワーを使ったせいか痣は薄れていき、「マルユウ」は再びマルセイに戻っていく。
マルセイはその後ショッピングモールの駐車場から転落して死亡する。理由はわからない。事故なのか自殺なのかもわからない。ただ、マルセイは自分の死を予感していたようだ。
マルセイが語った「悪を成敗しました」というのも、何のことなのかはっきりしない。もしかしたら杉森先生が想像したように、真秀はN先生にレイプされ、子供を孕ってしまったのかもしれない。それを知ったマルセイが、ジェダイのフォースパワーでN先生を消し、お腹の子供を遺伝的な意味でもマルユウの子供に変えてしまったのか。それが冒頭の「今年の冬、彼女はおまえの子供を産む」につながるのか……。
いやいや、それは穿ち過ぎだろう。お腹の中の子供はマルセイの子で、マルセイは「マルユウ」でもあったのだから、「おまえの子供」でもあるという意味なのだ。そう思いたい。
この物語に正解はない。マルセイは死んではいなかったのか。そうでなければ、ボルボとメモの書き足しはどう説明すればいいのか。しかし、本文に書かれている通り、不思議というものはそれに気づいた者にとってのみ不思議なのだ。弁当箱の握り飯が柏餅に変わっていたとしても、「いやいや、自分が入れてきたのは柏餅だ」と言い聞かせてしまえば、不思議でもなんでもない。ボルボとメモ書きにしたって、他の人なら何か理屈をつけて説明してそれで終わりだろう。
人生は結局、無意味なのかもしれない。湊先生が誰に何をどう説明したところで、それを信じてもらうことができないとしたら、無意味ではないか。またマルセイやマルユウたちにとって先生は部外者でしかなく、真実を共有できる相手ではないとしたら、なんと無力なことだろう。しかし、無意味でも無力でも生きるしかない。それが人生なのだ。先生は、マルセイからそういうメッセージを受け取った。だから泣くしかなかった。シーシュポスのように、転がり落ちた岩を何度も押し上げるしかない。愚かしくも悲しい涙だ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2024年2月29日
読了日 : 2024年2月25日
本棚登録日 : 2024年1月19日

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