ある時はカラスに足輪をつけるために、祭りで着る悪魔の衣装をまとい、屋根に上がる。
またある時は、帰巣本能がないのか、街中の適当なところに着陸して自力では帰ることのないワシを連れ戻しに何キロも歩いたり。
動物行動学者ローレンツの、動物とともに暮らし、発見したことがユーモアを交えて次々と披露される。
家の中を自由に出入りし、飛び回るコクマルガラスなどから自分の子どもを守るために、自分の子を檻に入れておく!
夫人も動物嫌いではなかったようだが、そんな暮らしがよくできたなあ、と感心してしまう。
さて、ローレンツと言えば刷り込みを見いだしたことで知られている。
この本の中でも、その話は出てくる。
動くものなら何でも後追いするか―というと、そんなに簡単なものではないらしい。
まず、彼らが認識できる高さでないといけない。成人が立った姿勢では、後追いはされないらしい。
さらに、マガモの場合、母親が出すようなゲッゲッという鳴き声を絶えず出していないといけない。
ということは、普通の人が普通にしていたら、いくら孵化して初めて見る動くものであっても、まず親鳥の代わりとして刷り込まれることはないということだ。
ローレンツのような、鳥の知識があって、親鳥の習性を迫真の演技で再現できる人でなくては、ということだろうか。
最近、刷り込みについての新しい研究で、一度人を追いかけるようになったとしても、自分と同じ鳥の形をしていないと後追いしなくなるという研究も発表されたとか。
オオカミ系の犬は、たった一人の飼い主にしか懐かないが、ジャッカル系の犬は誰にでも懐きやすいという話も興味深かった。
考えさせられたのは、最終章の「モラルと武器」。
オオカミは同族で争っても殺すことまではしない。
カラスも目を攻撃することはない。
こういう社会的抑制をもつ動物もあれば、キジバトのように弱い同族を殺すところまで痛めつけるものもいる。
逃げる速さと攻撃力が弱い動物は、強い相手に服従するポーズをとって命乞いする機制がないのだとか。
ローレンツは、人間が、今や本来の体以上に発達させてしまった攻撃力に応じた抑制をまだ発達させていない、と危ぶんでいる。
この論文からおよそ100年。
まだ状況は大きくは変わっていない。残念ながら。
どれくらいで人間は過剰な攻撃性を抑制する機制を作り上げることができるのだろうか?
- 感想投稿日 : 2016年5月7日
- 読了日 : 2016年5月7日
- 本棚登録日 : 2016年5月7日
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