日本文化における時間と空間

著者 :
  • 岩波書店 (2007年3月27日発売)
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感想 : 29
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2007年に読んだ本。ふと思い出して、当時書いた感想を貼る。

 日本文化論はすでに汗牛充棟の観がある。日本の知識人なら誰もが書けそうな気になる分野であるし、なぜか日本人は日本文化論を読むのが大好きだから、一定の需要もあるのだろう。

 しかし、日本に生まれ育った知識人が自己の知的来歴を語っただけで、まっとうな日本文化論になるわけではない。日本文化のなんたるかを熟知し、なおかつ諸外国の文化にも通暁したうえで臨まなければならない。そうしなければ、日本文化のありようを鏡に映すように相対化することができないのだ。

 その点、加藤周一は日本文化論の書き手としての資格を十二分に具えている。なにしろ、『日本文学史序説』などの大著をもち、フランス・カナダ・中国・メキシコなど諸外国の大学で日本文化を講じてきた「国際派知識人」なのだから。

 その加藤が「日本の思想史について私の考えてきたことの要約」として書いた本書は、さすがに読みごたえある日本文化論になっている。その場の思いつきで日本文化を語ったようなお手軽本とは格が違う。
 さすがは論壇の重鎮、老いてなお明晰である。論述に少しの乱れもない。

 加藤は、古代から現代に至るあらゆる日本文化を鳥瞰し、そこに通底する基本原則を抽出しようと試みる。各分野・各時代を刺しつらぬく串となるのは、「時間と空間」という切り口である。

「時間と空間に対する態度、そのイメージや概念は、文化の差を超えて普遍的なものではなく、それぞれの文化に固有の型をもつにちがいない」

 ――そう考える加藤は、日本文化に「固有の型」を探していく。
 三部構成で、第一部で時間、第二部で空間を扱い、結論にあたる短い第三部では時間と空間の相関が論じられる。

 「時間と空間」という漠としたものを読者にも可視化するため、文学作品にあらわれた日本人の時間意識、代表的建築や絵画にあらわれた空間意識などが、次々と指摘されていく。
 膨大な日本文化からその特徴を抽出し、さらに膨大な諸外国の文化と比較対照して差異を浮き彫りにするという難作業のくり返し。それを加藤は、並外れた博識と分析力で軽々とやってのける。

 意表をつく指摘が多く、“目からウロコが落ちる”たぐいの知的興奮が随所で味わえる。
 たとえば、日本の歴史的建築は「平屋または二階建て」が基本であったことと、日本舞踊の踊り手の足は「両足が同時に床を離れることはない」こと。一見無関係な二つの例から、加藤は日本文化の「水平志向」を指摘し、その意味を考察していくのだ。

 加藤は、日本文化は時間においては「今」に、空間においては「ここ」に意識が集約された「今=ここ」の文化であると結論する。そしてその特徴が、現代に至るまで日本人の行動様式を決定づけているとしている。

 「過去は水に流す」という意識のありよう、集団帰属意識の強さなど、正負両面の“日本人らしさ”の理由が、文化の本質から解き明かされていく。古典のような風格を具えた、重厚な日本文化論である。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 評論・概説書一般
感想投稿日 : 2021年2月3日
読了日 : 2007年6月21日
本棚登録日 : 2021年2月3日

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