「崩壊した星が最後の眠りにつく場」であるブラックホールは、とてつもない重力によって物質も光も閉じ込め、何もそこから逃れられない巨大な穴だ。
その存在はいまでこそX線天文学の発展によって確認されているが(地球を含む銀河系の中心にもブラックホールがある)、長年にわたって理論的可能性にとどまっていた。「ブラックホール」という名前がつけられたのも、1967年のことだ。
本書の主人公スブラマニアン・チャンドラセカール(1910~95/以下、チャンドラと略)はインド生まれの天体物理学者で、1930年、わずか19歳にして、アインシュタインの相対性理論の延長線上にブラックホールの理論的可能性を「発見」した人物。誤解されやすい書名だが、観測的に発見したわけではない。
当時は白色矮星(高密度の小さな星)が星の最終段階と考えられていたが、チャンドラは白色矮星の質量に上限があることと、その上限を超えた星が自らの重力に押しつぶされてブラックホール(という言葉はまだなかったが)化する可能性に気づいたのだ。
だが、この「発見」は、当時「世界でもっとも偉大な天体物理学者」と見なされていたアーサー・エディントン卿によってつぶされてしまった。エディントンは1935年、王立天文学協会の会合で、チャンドラの説を馬鹿げていると嘲笑したのである。
斯界の権威で、相対性理論の最高の理解者として知られたエディントンの主張には、誰も公には逆らえなかった。彼はその後も、ことあるごとにチャンドラの説を否定しつづけた。
エディントンの死後に自説の正しさが立証され、ノーベル賞も得たチャンドラだが、尊敬する先達から受けた仕打ちは生涯心の傷となったという。
エディントンの所業は「天体物理学の発展をほぼ半世紀近く遅らせ」たと、著者は言う。では、そのような“科学史に残る失敗”が、なぜ起きたのか? 著者は綿密な取材でチャンドラとエディントンの歩みを跡づけ、その謎解きをしていく。
2人の科学者の悲劇的な確執を本書の縦糸とすれば、横糸は最初の着想から現在までのブラックホール研究史だ。それをつぶさにたどるには天体物理学にかぎらない広範な科学知識が必要だが、ロンドン・ユニバーシティ・カレッジの科学史・科学哲学教授である著者は、その難事を見事な手際で成し遂げている。
優れた科学ノンフィクションであると同時に、「どのような場合に科学は道を誤ることがあるのか」についても深い示唆を与える力作。
- 感想投稿日 : 2019年3月28日
- 読了日 : 2009年9月18日
- 本棚登録日 : 2019年3月28日
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