対談集かと思ったら、そうではなかった。対談は1章のみで、あとは両著者のエッセイ/評論が交互に登場する本なのである。
日本の大人たちがいかに未熟か、という指摘がさまざまな角度からなされるのだが、それが「近頃の日本人は幼稚でケシカラン!」というような紋切り型の批判にならないのは、この2人ならでは。両著者は、次のように言うのである。
《鷲田 最近、政治家が幼稚になったとか、経営者が記者会見に出てきたときの応対が幼稚だ、などと言いますが、皮肉な見方をしたら幼稚な人でも政治や経済を担うことができて、それでも社会が成り立っているなら、それは成熟した社会です。そういう意味では、幼児化というのは成熟の反対というわけではないんですね。
内田 官僚や政治家やメディアに出てくる人たちがこれほど幼稚なのに、致命的な破綻もなく動いている日本社会というのは、改めて見ると、きわめて練れたシステムになっているなって、いつも感心するんですよ。》
この痛烈な皮肉こそ両著者の真骨頂で、ここが本書の肝といってよい。
第1章の対談も、その後の両著者のエッセイも示唆に富む内容ではあるのだが、いかんせん、本文正味が115ページしかないというのは、あまりに分量が少なすぎ。
「ピンポイント選書」(本書のシリーズ名)だかなんだか知らないが、たったこれだけのページ数でハードカバー/1200円の本として流通させるというのは、ちょっとね。いまや新書でさえ300ページ近い分量があたりまえだというのに……。
いや、もちろん、分量が多ければいいってものではないが。
「名言だなあ」と思った箇所を引用する。
《鷲田 近代社会って生まれて死ぬまで同じ自分でないといけないという強迫観念があって、直線的に自分の人生を語ろうとするじゃないですか。昔の偉い人は何回も名前が変わった。失敗しても名前を変えるくらいの気持ちでいたらええよ、と。人生を語るときは直線でなく、あみだくじで語れ、と言いたいね。》
- 感想投稿日 : 2019年4月3日
- 読了日 : 2009年4月15日
- 本棚登録日 : 2019年4月3日
みんなの感想をみる