サバイバー 名将アリー・セリンジャーと日本バレーボールの悲劇

著者 :
  • 講談社 (2008年8月22日発売)
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感想 : 3
5

日本のスポーツ界には、世界的な大物が度々やって来る。
しかしその度にマスコミは一瞬大騒ぎし、組織も浮かれ、その後継承される事がほとんどない。
Jリーグの過去の監督の名前をいくつか並べるだけでもその傾向がわかる。
ベンゲル
レシャック
オシム
スコラーリ
ベングロッシュ

バレーボールの世界で言うならば、この人しかいないだろう。
アリー・セリンジャー
低迷していたアメリカ女子、オランダ男子バレーボール代表チームを強豪に仕上げ、オリンピックでメダルまで獲得させた知将は、16年間もの時を日本で過ごした。
その間手にしたタイトルは数知れず。
解剖学、生物学、生理学、物理学、数学、幾何学、統計学まで学んだ熱血漢は、スポーツ科学のすべてを駆使して指導に当たり、肘の角度からスパイクの角度まで全てのディテールを網羅した。
しかし、理論と情熱で全てを乗り越えてきた指導者にとって、待っていた日本の村社会の現実は残酷だった。
オリンピックで常にメダルを争う位置から下降線を辿りながらも現実を直視しようとしないバレーボール界とセリンジャーはぶつかった。
暗黙の了解、建て前、前例こういった空気と力が支配する環境で彼の提言や議論をしようとする姿勢は無力化され、その競技に対してピュアすぎる想いは逆に軋轢を生んだ。
その結果、世界中からリスペクトされている理論派に代表監督の座の声がかかることはなかった。

では、この権力に対する軋轢や妥協を知らない正義感はどこから生まれたのだろうか?
それは彼の幼少時代の体験による。
この本の真の重みと真の価値はここにある。
そしてその現実はとにかくにも重たいものである。
ポーランド系ユダヤ人であるセリンジャーは幼少時代を強制収容所で過ごしている。
彼が記憶を辿って綴ってゆく過程のページは、一ページ一ページが重く、進むのが遅くなる。
生き残りをかけた過程でアンネ・フランクとも一緒に過ごすなど衝撃の事実も登場するのだが、スポーツというある意味非生産的な娯楽を飛び越えて、歴史の重みをずしりと感じずにはいられない。
ナチスのホロコーストからの生き残り、つまりサバイバーである彼にこの体験は永遠に傷として刻まれてしまっている。
その傷が疼くのは、前へ向かって進もうとしているのに、建て前や村社会や年功序列、古い慣習などの邪魔者が登場する時だろう。

この本にもその影が映っているような気がしてならない。
バレーボール協会からの圧力だろうか、それとも遠慮したのだろうか、現役選手などからのインタビューはここには掲載されていない。
吉原知子、斉藤真由美と引退した二人のスターだけに止まっている。
ここまでのジャーナリズムを発揮した筆者ならば、もっと証言を集める事などたやすかったはずだ。

戦争や差別という命を奪う不条理と、命はあれど可能性を遮断する保身と建て前で構成される村社会の不条理を体験した男の物語と言えるかもしれない。
それでも思う事は、きっと彼を慕う、そしてありがたみを噛み締めている人の数こそが、彼の宝物であり、彼に希望を持たせた最大のエネルギーだったのだろう。

いずれにしても、日本はまたしても名指導者の教訓をみすみす逃してしまったような気がして残念でならない。
せめてバレーボール協会は功労賞でも贈れないものなのだろうか?

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ヘッドコーチ・監督・GM
感想投稿日 : 2011年5月29日
読了日 : 2011年5月29日
本棚登録日 : 2011年5月29日

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