靖国史観: 幕末維新という深淵 (ちくま新書 652)

著者 :
  • 筑摩書房 (2007年4月1日発売)
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感想 : 8
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祭政一致国家ー国体という概念は、江戸時代の水戸派の会沢正志の「新論」から出てきたもので、それまでなかった。祭政一致とは、政教分離という近代の仮構から古代へ無理に遡らせたものである。皇室が行う籍田も先蚕も江戸時代からである。なんと大嘗祭も江戸時代に創り出された。西洋列強の船が日本近海に出没するのに、各藩ではなく日本全体を単位とする「国体」を会沢は考えたのである。倒幕成功以来、政治の表舞台で封印されてきた「国体」を呼び起こしたのは、美濃部天皇機関説事件であり、「国体の本義」が作成されることになる。
中世の「愚管抄」と「神皇正統記」は、武家政権成立を歴史の中できちんと位置付け、朝廷もそれに対応した政治構想を築く必要を提言していた。武家政権の排除などという発想はなかった。国体を本来の天皇親政の姿に戻さねばという発想は、19世紀の儒学、国学から生まれたのである。
薩長の官軍が江戸を制圧した直後の1868年に江戸城内で、新政権の樹立に向けて犠牲になった者を天皇の忠臣として祀った「招魂祭」が靖国の始まりである。まずは、招魂社という神社となり、西南戦争での戦死者を顕彰するため靖国神社へと発展した。日清戦争では、天皇の名の下に戦う兵士の士気を高めるための靖国であり、勝てば官軍の心性より負けてはならないものであったのが、太平洋戦争で負けてしまった。そこで「あれは正義の戦争だった」という靖国神社の史観となる。
さらに著者は、靖国神社は、徳川政権に対する反体制テロリストたちを祭るために始まった施設であり、A級戦犯問題はどうでもいい、靖国問題は国際問題ではなく国内問題だと主張する。
ーうーむ、現実問題として国内問題で済むものなのか。薩長のテロリスト、A級戦犯問題などはもっと別の書籍で読んで考えなければならないのだろう。しかし、国体、靖国神社の歴史的なことがよく分かった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 日本論
感想投稿日 : 2019年8月27日
読了日 : 2019年8月27日
本棚登録日 : 2019年8月27日

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コメント 1件

goya626さんのコメント
2019/08/28

ありがとうございます。

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