愛について考えるエッセイ。短いフィクションの挿話を挟みながら、人を愛するということ、真実の愛とは何か、孤独とは何かを思索していく。
少し理屈に走っているきらいはあるけれど、愛するということについて、深く考え続けてきた方なんだなあということは、前に読んだ『忘却の河』や『草の花』からも伝わってきました。
そんなふうに深く、自分の存在をかけて人を愛したことはないなあと、こういうのを読むたびに思います……
もっと若いうちに読んでいれば良かったかも、とも思い、あるいはもっと人生経験を積んでから読んだらまた印象が違うかもしれないとも。
孤独とは、忌み嫌うべきものではなくて、自らのうちに抱え続けていくもの。人を愛することで消えてなくなるものではなく、死ぬまで抱え続けていくもの。そういう考え方は、なんていうか、すごくしっくりくるなあって思います。
ちょっと引用。
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二人の人間が一つの愛に統一されているならば、彼等は、自己の眼で見ると共に、常に相手の眼でも物を見なければならぬ。相手の傷を自分も嘗めなければならぬ。それでこそ孤独が癒される筈なのだ。しかし悲しいかな、人は傷つけられたのが自己の、自分一人の、孤独だと思いやすいし、相手が無条件にそれに同情してくれることを望みたがるのだ。まるで愛する対象が、自分のためのものであるかのように。自分もまた、相手のためのものであることを忘れたかのように。
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読みながら、むかし、カトリックの方から聞いたお話のことを思い出していました。
そういえば福永さんは、キリスト教にご縁の深い作家さんなのだそうです。わたしはいいかげんな仏教徒ではありますが、愛されることよりも愛することに重きをおくカトリックの精神は、実践するのがなかなか難しいものであるだけに、すごく憧れるところがあります。
そういうことを、教義や議論の中にあえていわなくてはならないというのは、本来の人が、愛されることばかりを望みやすい生き物だからなのでしょうけれど。
- 感想投稿日 : 2010年10月17日
- 読了日 : 2010年9月11日
- 本棚登録日 : 2010年9月11日
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