生活環境主義でいこう!―琵琶湖に恋した知事 (岩波ジュニア新書 594)

著者 :
  • 岩波書店 (2008年5月29日発売)
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感想 : 8
5

嘉田由紀子さんは政治家である前に、
「生活環境学」と自ら名付けた学問の研究者である。
学者といっても象牙の塔に収まっておる人ではない。
人々がそれぞれ営む暮らしというフィールドに出て、
地域と共にその環境について考えるという。
実践的な政策理論を目指すものであるのだという。

環境を考える際にも登山のように様々な登り口がある。
政治家や官僚が好む管理型の「近代技術主義」とか、
学者が好きな、保護型の「自然環境保全主義」とかがある。
そして地元の生活環境からアプローチしようというのが、
嘉田由紀子さん達の「生活環境学」の考えなのだろう。
人が周囲の自然と調和した暮らしを、
実践できるようにすることで、
争うことも競うこともなく正義を振り回さずにユックリと、
お互いの違いを確認しながら、
納得を創りあげていくことを目指しているのだろう。

文化相対主義が意識の在り方によって戦争や人殺しを、
認めることになってしまうことに対して、
個別性を大事にするのだけれど、
個人ではなく個々の村が持つ生活システムを、
重要視することだという。
「人の考えはわからないけれど人々の考えは分かる」という。
これは個々と総意の違いを言っているのでしょうか?

この点が私には理解できないけれども、
個々の意識状態と視野の広さが問題なのだと思う。

時空間における相対関係を理解できる状態から、
文化の相対性の議論をスタートする必用があるということだろう。

「なつかしい未来」という言葉もここから生まれているようだ。
すべての生きものが共に生きる仕組み、
人と人の関係・自然への畏敬の念・を、
取り戻して現代に活かすことだという。
それは川で洗濯することを短絡的に捉えて環境を汚すとみるのではなく、
一歩引いて循環があることまでを見定めて判断することでもある。
税金を国が集め国から地方に補助金として分配するという権利システムでは、
政策の選択における目的が補助金目当てとなってしまう。
したがって行政の高コスト体質が当たり前となって染みこんでしまう。

行政の仕事は税金で賄う。
高負担高サービスか低負担低サービスかのどちらを選ぶかのところを、
ニホンの政治は自由資本主義という政策の中で、
中負担高サービスを借金で埋め合わせていくという、
見かけ重視でとどの詰まり国民を欺いてきた。

これは官僚という事務方が義務を権利にすり替えて、
あたかも税金の再分配を与えるがごとくに装い、
国民を洗脳してきたことに原因があるだろうと私は思う。

事務内容を分かりやすくシンプルにして無駄な経費を削減していけば、
低負担高サービスも可能になる。
但しこれを実現するには事務方の意識共々国民の参加意識がモノを言う。
お互いに依存意識ではなくお互いの対等で自在な関係を創造する、
共生意識が膨らまなければならない。

住民が主体的に自分たちの暮らしを納得尽くで創造していく。
その過程には喜びもあれば負担となる労働や失敗による苦労がある。
何があろうと現実を受け止めて、
前に向かって進んでいく地域力がなければならない。
行政は個々の住民が動きやすいように集いの場を用意して、
情報をつなぎ具体的な処理をすることが仕事となる。

この場合地域組織と国組織のように、
より大きな組織はより小さい組織の、
縁の下を支える仕事を目指すことが大事な要素となる。
それには皆が自分の心を見定め自分の視野を広げることを目指して、
冒険して発見することを楽しめる環境でなければならない。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ドキュメント
感想投稿日 : 2012年12月3日
読了日 : 2012年12月3日
本棚登録日 : 2012年12月3日

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