なんやろうもう・・・。今、ちょっと乱読気味に読書をしている自覚はある。
時間が限られているのに読みたい本はめちゃめちゃようけあるから、とにかくガーッと読もうとしてる・・・。
・・・んやけど、この本はそうやってガーッと読むのは勿体ないね・・・。
(ガーッと読んでも大丈夫な本っていうたら失礼すぎるな)
(すいません)
いやでも、パパッと気分転換に読んで楽しみたい読書もあるよね。それがいいとか悪いとか、面白いとか面白くないとかではなく!
タイトルどおり、「時」が関係する本だけに、しっとりと読みたいねんなあ。
この本もたくさんの人におすすめしたい! ちょっとファンタジーが好きで、昔、少女小説を愛読していたようなタイプの方に(笑)。
ほんで作中にもあったように、「自分の常識的感覚に自信がなくなる」。
自分が「当たり前」と、信じてきたことがほんまに「当たり前」なのかな? と、思うねん。
私は作中にシンクロする読み方が好きなので、私の「常識的感覚」を揺さぶるこの本はじっくりとシンクロしたいのかも。
太一はたぶん、・・・と、彼の正体を書くのは野暮らしいけれど(笑。解説も面白かった)、そんな、(おそらく普通の人間ではない)太一が普通に(?)暮らしていること、その太一を受け入れてる秀司とか、不思議なことがたくさんある。
もうほんと、正しい意味での「不思議」。
「不思議」といえば、過去は取り戻せないのに、「思い出」は塗り替えることができるっていうところから、不思議。だってそれってどういうこと。
ようは、「思い出」を塗り替えたら過去がまた違う色になり、そうすると未来も変わってくるってことをいいたいようなんやけど・・・。
未来も過去も、変えることは可能なんやって。ええそれってほんまに。そんな簡単な話?
じゃあ私の過去も変えてしまって、よりよい未来をぜひ、って思うんやけど、それはなんちゅうか簡単な話でもない。
難しいわけでもないねんけど。
そのあたりは、言葉で説明するより秀司と明里と、飯田時計店にやってくる人たちとの会話を見ていたらそれがよくわかるねんな。
ああ、そういうことか、未来も過去も変えられるってそういうことか、と、ひどく納得できる。
でも今回はちょっと込み入った話が多かったな。
化石の話なんて、ふたつの偶然が重なってできてるのでほとんど奇跡みたいな話やった。
それが面白いんやけど、時制も含め、結構難しかった。
ベリーの約束が一番わかりやすくて、シンクロしやすかったのは、すっかり私が恋愛脳になってるからかしら。笑
だって著者、思い出したように、秀司と明里のキュンを放り込んでくるからさあ・・・。
すごいよもう・・・。(*´з`)
飯田時計店にやってくるお客よりも、秀司と明里の未来のほうがよほど楽しみなんですけど。笑
前回で彼らの過去が明らかになったんやから、次は彼らの未来をこう、掘り下げていってくれてもいいんちゃうの・・・。
とも、思うんやけど、ほんまに時を刻むようにゆっくり、ゆっくりと、物語も気持ちも動いていっているのが、このお話の一番面白いところやと思う。
・・・ので、我慢する。笑
秀司の包容力はほんま、うらやましいわ・・・。
この二人って同い年なんやっけ、どうなんやっけ。
空想って、すてきやね。
本当のことがわからないからこそ、関わった人たちが幸せになれる空想をするっていうのが、とても、とても、すてき。
昨今は人間関係が(なぜか)ややこしすぎて、いっそ他人のことを考えるなというハウツー本すら多い。
他人は自分が思うほど他人のことを気にかけてやしないんやから、他人の気持ちを推し量りすぎて鬱々とするくらいなら、いっそ考えるな! と、いうもの。
それも確かにそう。無駄に鬱々とするなら考えないほうがよほどいい。
けれど、もっともっと幸せなのは、見えない、わからない部分を、「いい方」に空想できることやね。
他人の好意を信じられたうえで、あの人は(私の知らないところで)ああなのかもなあ、と、すてきな方向で空想できるなら、それはとっても幸せだ。
ちゅうか、想像っていうのは、そういうためにあるのかも。
ほんで、すべてを分かり合えるとか、すべてをさらけ出すような関係でもそうでなくても、他人との間にそのくらいの「空想」をする距離は残すべきだ。
その「空想」が、幸せになるための「空想」で、埋めることができたら、人間関係はもっともっといいものになるんじゃないのかな。
全ての人と分かり合えるなんて無理だもの。
いくら言葉を重ねても不安も誤解も生まれるのなら、「わからない」ことがあってもいい。お互いにそれを「幸せになるための空想」で、補えれば・・・。
そんなことも思った。
私もそうやって「空想」をしながら、人間関係を築いていこう。
非現実的かもしれへんし、おめでたいかもしれへんくても、たぶんその方が幸せやで。
幸せなんやったら、それで、いいのでは。
誰かの何かを待つ間、疑うよりも、信じるほうが、ずっといいよね。ほんまに、そうやわ。
同じ時が流れるなら、疑って疑ってすごす時より、信じてすごす時のほうが幸せやんか。
たどり着く結末が同じなら余計、信じてすごす時のほうが幸せやったという「思い出」になるし、幸せな「思い出」は新たな未来につながるのは、よくわかってる。
「不思議」じゃないのんか。「奇跡」なのか。
秀司と明里の歯車が動き出したのは太一という「奇跡」が気まぐれを起こしたことも、よかったのかな。
奇跡か。そうか。不思議よりも、なんだか、いい言葉やね。
(2017.03.23)
- 感想投稿日 : 2017年7月15日
- 読了日 : 2017年3月23日
- 本棚登録日 : 2017年7月15日
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