個人差あります(1) (モーニング KC)

著者 :
  • 講談社 (2019年3月22日発売)
3.89
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本棚登録 : 122
感想 : 12
5

32歳からはじめるフェアセックス。

昨今は性転換を取り扱う創作作品の枠組みとして「TSF」ってジャンルが定義づけられているようです。
私自身は「日暮キノコ」先生の作風や他作品のことは存じておりませんので作品の背景に踏み込むことはできませんが、このジャンルのファンということで作品単品でレビューすることにいたしました。

ある意味、割り切った形での紹介となりますが、どうかご容赦ください。
ところで同ジャンルで主役を務めるのは、ファンタジー/SF系統を除けば、第二次性徴期/青春時代と重なる中学生高校生など若めの年齢層が主流だと個人的に思っています。そこを主人公は100均メーカーの商品企画部に勤める三十二歳の既婚サラリーマンです。すなわち三十代からはじめる女性化生活ですよ。

オトナ向けでどこかウェットかと思いきや、いい感じに青さも描いてくれていて、そこに社会的なアレコレを絡めながら重くなり過ぎないように上手くライトに仕上げてくれたように思われます。
よって二転三転、右往左往する人間関係に悩みながらの、回り道もいとおしいと思えた全六巻でした。

掲載媒体の移行もあったりで多少予定から外れた部分もあったのかもしれませんが、主観は人それぞれとしても実写ドラマ化されたことからわかる通り物語として一定の成功を収めたことは保証されています。
一巻時点からして物語のはじまりにふさわしく、数多くの話のフックを用意されていました。

そうして張られた伏線と人間関係の内、だいたいは回収されていたようにお見受けします。
後付け感はなかったため、コンセプトがはっきりしていることの証明といえるのかもしれません。
反面、良くも悪くもニュートラルで、もっと話を広げられそうな余地も感じられました。
傑作に届かずコンパクトに話をまとめた風ではあるものの、私個人としては大変満足しています。

ミニマムな一対一の人間関係、つまりは血のつながりを持たない夫婦の在り方を再生する物語としてきっちり決着をつけてきて、意欲作としても十分に認められる秀作だったと私は断じます。

そんなわけで二つ年上の専業作家の奥さん「磯森苑子」との間でどこか冷え気味の倦怠期を迎えつつある主人公「磯森晶」は、ある日突然死に瀕したことをきっかけに女性の体になってしまいました。

……さて、ここがポイントだと思うので一応述べておきますね。
ネタバレ、と言っても結局全六巻の中で明かされるとこはなかったのでぶっちゃけてしまいますが、男性が女性、女性が男性の体に移行するというこの現象「異性化」の原理は不明です。

瞬時に肉体が移行するため、医学的な症例というよりファンタジー的な現象としか思えません。そのことあって現代日本が舞台であるリアルな世界観の本作では掘り下げができないといえるのかもしれません。
主人公の場合は、性転換に伴って水底から浮かび上がって異性の体と衝突するビジョンを見るところから類推することはできるかもしれませんが、断言はできません。

性転換現象についてタイミングないし法則性は明確ですが、それこそタイトルそのままに個人差ありますとしか言えないわけで。謎を解くのは無理筋で、結局は一対一で個人が向き合っていくしかないのです。
そういう現象が起こる世界で原理はさて置き、現状を受け容れ生きていくでしかないのかもしれません。

また、発症例は流石に少ないですが、社会的認知もそれなりで発症者を受け入れるための法整備も進んでいるため、社会の軋轢などの社会派SFとしての側面は薄いように思われます。
ただし、社会生活を営む個々人の間では齟齬が生まれ、劇的ではないにしても波紋は巻き起こります。

夫婦の関係を皮切りに、職場での人間関係、とりわけ上司、先輩との関係性、実家での家族とのあれこれ、ちょっと気になるドラッグストアの店員さん、あと個人的な友人などなど……エトセトラ。
主人公の晶と周囲の人間との関係性が同性から異性へ、異性から同性へ移り変わったことで移り変わっていくありさまはおおむね優しいといえるもので、でも時には危うくて恐ろしい面もある。

などと性別の変化に伴って世界の観方も変わるという意味で、王道の筋立てのように感じ取れました。
それと主人公は性転換前後で記憶はそっくりそのままとは言え、同じく肉体もそっくりそのまま変わっています。脳も女性のものになっているのはほぼ確実です。

なので女心がわかる男(肉体は女性ですが……)として独自の魅力と詰まっていた仕事への突破口を得るというのも、なんというか納得でした。
総じて。主人公の社会的地位がある程度固まっていて、若さに任せるわけでもなく、老いに怯えるでもない中間の三十代だからこそ、学生身分では味わえない多角的な人間関係を見せてもらえて新鮮でしたね。

それと、なにより夫婦の関係性を抜きにして本作を語ることはできないでしょう。
たとえば妻の苑子と夫の晶と間の壁のできた夫婦の関係から一転し、ふたりは気の置けない女同士のシェアハウス的なやり取りに移行するわけですが……。

同性の友人のようであり、女としての先輩後輩のようであり、そこから派生しての疑似的な姉妹のようであり、と。
新たな在り方を模索し、切り込んでいくのは苑子の方で、なんなら彼女の方が主人公としては適格に思えたりもしました。渦中にあって心情揺れ動く晶が作品の主役であることは現状間違いないんですけどね。

とまれ。どこか晶を置いて、苑子が突っ走っている風ではあるものの、密接するだけあって打ち解けて、仲良くなっていく過程はひとまずは順調でした。性生活という問題は棚上げとしても。

そうですね、営みは「夫婦」という関係を取り扱う上では避けて通れませんからね。
子どもを含めた、その辺の問題編と解決編にしては続刊で描かれるとして。
作中でけっこう乳房を惜しみなく露出する通り、サラッとした清潔感と色気のある線が、魅力的でした。
秋波を送るという言葉はきっとこのことだと思わせるくらいには色気のある作品でした。

ああそれと、波ついでに言えば、作品における最初の波に向けて不穏とは感じられないくらいには盛り上げてきました。後知恵と言えばきっとそうですけど、次巻予告でさっそくの波乱を見せてるんですよね。
一巻時点で単に順調なだけの作品だけでは終わらせず、予兆は見せていた。

というわけで。
本作はここからは切なさだけに安住しません、ズルくて卑怯な生き方も描くことになります。
そのために本作は人によっては「それでいいのか?」と疑問を呈されるような過程の家庭に辿り着きます。けれど、ちゃんと返しの言葉は最初から用意されているのでした、そう「個人差あります」とね。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: TSF
感想投稿日 : 2023年3月27日
読了日 : 2020年4月18日
本棚登録日 : 2020年4月18日

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