『壊れた風景』
全部が曖昧で、イライラした!
イライラさせるためにわざと曖昧にしてるんだろうね、やるな。
女2
何故私たちが弁償しなければいけないの?
男3
だからさ、だから、それはあれじゃないか・・・。しょうがないよ・・・ね。
女2
私たちは、なんにもあれしてないんですよ。
男3
いや、だから、みんなでさ。みんなで少しずつ、あれすればいいじゃないか、ね、弁償すれば・・・。
女1
だってそれは・・・。(皆に)ねえ、みんなで、あれでしょう?当然ですよ、だって、みんなであれしたんですから・・・。
男2
それはもう・・・それはあれですよ・・・そうなんですから。(男1に)ねえ・・・。
「あれ」の多さに苦笑ですわ。こういう作風好きです。
人間の集団心理って、人の人格を変える。
個人と集団じゃ、もうベツモノで。
人は自分が「ベツモノ」になってるってことを分かりながらも、居心地のいい「集団」に浸かりきる。
この舞台でわざと曖昧な言葉を使うのも、個人が周りとの境界を失くそうとし、より自分を集団に溶け込ませるため、のような気がしました。
『象』
背中の被爆跡を人目に晒すことで自己の存在を確認している男。
と、その甥。
これはちょっとよく分からなかったな。
他人(他人の目、他人の評価、他人からみた客観的な自分)によって自己を認識するということは、誰もがやってることだとは思う。
もし、他人に自分を認識させるための手段が被爆跡しかなかったら・・・
どうしよう。
- 感想投稿日 : 2009年1月12日
- 読了日 : 2009年1月12日
- 本棚登録日 : 2009年1月12日
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