演劇集団キャラメルボックス きみがいた時間 ぼくのいく時間 2008年版 [DVD]

出演 : 上川隆也  西山繭子  西川浩幸  坂口理恵  岡田達也  岡内美喜子  青山千洋  温井摩耶  三浦剛  筒井俊作 
  • NHKエンタープライズ
4.44
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感想 : 2
5

5日土曜日の14時の回、見てきました。
上川さんが帰ってくるから見に行ったようなもので、
原作は面白いけれど私の好みではなく、
成井さんがどう脚本に直すのかに期待していました。

結果、流石としか言いようの無いアレンジと
役者さんたちの演技力で、素晴らしい物に仕上がっており、大満足でした。
以下ネタバレ含みます。





原作は、39年前へ行けるタイムマシン『クロノス・スパイラル』の開発をしていた主人公の男の彼女が事故で亡くなり、
男はパソコンと退職金を持って過去へ飛び、
株で稼ぎながら生活をする。
事故が起きる直前自分自身を呼んで彼女を事故から守るよう忠告する。
と、きちんと彼女を守った→過去に飛ぶ必要がなくなった→年老いた男の存在自体が消え、何事もなくなりハッピーエンド。

短編であることも手伝って、ただそれだけのお話です。
過去へ飛ばないなら彼女は助からないのではとか、そういったパラドクスは無視されています。

舞台のきみ時間は、主人公秋沢里志が海外勤務から戻り、それを妹と、海外に行く前に別れた彼女の梨田紘未が迎えに来るところから始まります。
この時点で、舞台上はすっかり隆也ワールド。
ぶっきらぼうに「おう」としか挨拶をせず、理屈っぽい理系の不器用な男。
紘未のことがまだ好きだけれど、彼女を幸せに出来ない。
研究が一番大事である自分。数分で観客に全て伝わってくる。
脱いだコートを畳むだけでまだ温まってもいない会場を笑わせるなんて、上川さんだから出来る事だと思う。



妹の暗躍で二人は馬車道ホテル(クロノスの舞台でシック・ブーケのお得意様だったホテル)
の最上階のレストランで食事をし、里志がプロポーズ。
見知らぬ誰かから贈られたシャンパンで乾杯をする二人。
式を挙げ、新婚旅行はイタリアへ。
紘未はジュゼッペ作のカメオが欲しかった。
婚約した時、母が父から贈られて、大事にしていたのに無くしてしまったと聞いていたので、
母と自分に一つずつ欲しかったのだ。だがみつからなかった。



里志は生き生きと仕事に打ち込むようになり、自分の理論を応用してクロノス・スパイラルを完成させる。
スパイラルは39年前のこの場所にしか飛べない。
しかも片道切符。戻って来ることが出来ない。

いよいよ明日は実験の日。そして紘未の誕生日。
その夜紘未は、妊娠したらしいと里志に打ち明ける。
喜ぶ里志。でも明日はどうしても仕事が休めない。
紘未は一人で病院に行けるから大丈夫、と笑う。

翌日、実験は失敗。出力が足りなかったらしい。
そこへかかってきたのは紘未がトラックにはねられたという電話。

ここまでを詳しく、幸せな日々を丁寧に描くことで、観客は感情移入をする。
原作を読んでいた私には、やがてくる悲劇が恐ろしく大きなものになるし、
読んでいない人にはあまりに唐突で無慈悲なものになる。

あれだけ幸せそうだった里志が取り乱し、医師にくってかかろうとして妹に止められる。
クロノスで感情的な頼人が医師に叫ぶのとは、また違った痛々しさがある。
やっぱり自分が仕事を休んで病院に付き添っていればこんなことには。

この設定が里志の悔恨の念をより観客に伝える。



紘未が亡くなり、冷静に喪主を勤めて葬儀を行った後、里志は失踪する。
後を追うのではないかと心配してメールを打つ妹。
一月後、里志は戻ってくる。

結婚する前の、ぶっきらぼうで感情を表さない里志に戻っていて、妹にこう言う。
「幸せだったこの一年は、神様がくれた休暇だと思うことにしたんだ。
休暇は終わり、俺は研究だけの生活に戻る。ただそれだけのことだ」

何度も茶化して妹が語るモノローグで強調された『理系の人間』。
一ヶ月の間に納得出来る答えを考え、無理矢理思い込み、以前の自分に戻ろうとする里志の危うさ。潜む狂気。

そこに立っているだけで痛々しい。
これもまた、クロノスで必死に走り回っていた菅野さんとは対照的に、自分の体を持て余すような上川さんの芝居が素晴らしい。

里志は実は紘未に内緒でカメオを買っていた。
あの朝、渡すつもりだった。
彼は幻想の紘未と会話をする。
「いつでも側にいるわ」「でも、触れないじゃないか」

研究が一番、君は二番とうそぶいてつよがっていた自分。失って気付く彼女の存在の大きさ。
触れない、と言った後ステージに取り残される上川さんから漂う孤独感に、見ているこっちまで取り込まれそうだった。

失踪していた間に設計図を書き直していた里志。
今度こそスパイラルは完成する。里志は会社を辞めて、退職金を全て39年前の金に変える。

誰にも言わずに過去へ飛び、38年を過ごし、紘未の事故を防ごう。
荷物はデイバッグに詰めた、800万とノートパソコン。
そして、紘未に渡す為のカメオ。

同僚たちは里志が過去へ飛ぶつもりだろうと気付き、駆け付けて手伝ってくれる。
野方は一人反対するが、聞き入れられない。

このシーンを見て、何人も何度も人を過去へ送ってきた、いつも聞いて貰えず、知っている人と会えなくなる野方さんの切なさを強く感じた。

彼は彼で、理性的なだけで、過去へ飛びたい気持ちだって理解はしているのだ。
いつまでもボールペンを大事にしているくらいなのだから。

里志がデイバッグを抱えてスパイラルに乗り込み過去へ飛ぶ。
ここで一幕が終わり、15分の休憩を挟む。
ハーフシアターでもないのに今までは有り得ないことだったのだが
この幕間で1枚100円で売られる新聞がまた心憎い演出。

表で一幕を振り返り、裏で二幕から始まる1970年の紹介をする。
観客は、万博最終日である39年前の世界に思いをはせる。



二幕。

倒れている里志。
気を失っている間に800万が何者かに盗まれ、途方に暮れる里志。
たまたま通りかかった馬車道ホテルの二人に助けられる。

タイムトラベルもので、過去に無事飛べたかを確認するために
その時代の人に「今何年何月何日ですか?」と訊くのはセオリーでもあるが、
里志は「まだ万博はやっていますか」と訊く。
この訊き方に、里志の研究者としての冷静さや頭の良さが垣間見られる。
時代背景を観客にすんなりと伝えることも出来る。
この台詞を考えたのは成井さんなのか、エチュードでアドリブで生まれたものなのか。
どちらにしろセンス溢れる台詞だ。

事細かなことで言えば、妹がデイバッグと呼んでいた鞄を過去の世界ではリュックサックと呼ぶなど、
時代背景も細部にわたり作りこまれている。

原作ではあっさり不自然に手に入る戸籍。
これもまた現実感を損なうところ。
この部分を、舞台ではホテルの従業員芽衣子がやくざ屋さんとつながりがあるという設定にしている。
さりげなく言うので知らない人は気付かないし、原作を読んで知っている人は、この先この人に頼って戸籍を手に入れるのだろうとにやりとする仕掛けだ。

しかも戸籍を売って貰いに行く道すがら、芽衣子が競馬で負けたという話をするのも心憎い。
里志は礼にノートパソコンに入れてきた過去39年分の新聞から競馬の結果を調べて芽衣子に教えてやる。
自分はデータを使って株で儲ける。
原作では細々と働き、その必要がなくなれば仕事をやめてしまうが、
舞台の里志はきちんと馬車道ホテルの施設係を勤め上げる。

過去へ飛んだ里志に、紘未が謝るシーンが好きだ。
「ごめんなさい、私のために」。
この感情が、原作に足りないものだ。
過去へ行くのを止めたり協力したりする同僚、それに振り回される上司、遠くへ旅に出ると聞き不安を抱く妹。
原作では里志は、周りも紘未本人の感情さえも無視して突っ走る。
純粋かもしれない。しかし言ってしまえば自己中心的で卑怯で勝手な振る舞いだ。
無視されている紘未の感情が、幻想としてでもきちんと語られているところがとても好感がもてる。
原作でも過去でトラブルが起き、未来が変わってしまいそうになるピンチは訪れるのだが、それがより具体的に劇的にアレンジされている。

まず、紘未の母との出会い。
一幕でレストランで食事をするときにさりげなく、紘未の父がこのホテルの支配人をしていたと語られている。
過去にやってきた里志を助けてくれた男が婚約者として連れてくるのが紘未の母。
父が婿養子に入り苗字だけ継ぐことになったと話す。ここで初めて観客は
彼が紘未の父であることに気付くようになっている。

競馬の予想を芽衣子に教えてやるとき、ノートパソコンを浩次に覗き込まれ、
壁紙にしていた紘未の写真を見られていることも伏線になっている。

浩次は里志を疑い出す。
浩次は甘やかされて育ってきた男で、経営能力もない。
馬車道ホテルの経営難を、単純に建て替えて綺麗にすれば客が呼べると思っている。
それを里志に反対され、その先見の明に純子は感心する。

浩次にしてみれば、自分が拾って働かせてやったのに、ホテルを乗っ取られ、
更に片思いをしている純子まで里志に取られると
不安と不満を抱くのも当然だ。

里志が仕事が出来るせいで、客室係になり、紘未の父がホテルを辞めると言い出す。
里志はホテルを辞め、株で築いた莫大な財産で馬車道ホテルと、
紘未が将来勤務するはずの会社に援助をして倒産から救う。
馬車道ホテルに融資するにあたり、紘未の父を働かせ、
経営を安定させるために純子を支配人にし、
浩次は経営に口を出さないように、との条件を出すのだが、
当然浩次は気に入らない。

里志が壁紙にしていた写真の紘未を、
彼女の母であり、里志と浮気しているのだろうと思い込んだ浩次は
彼女を呼び出して人質に取る。
ノートパソコンを壊し、不倫疑惑をばらす。
それが嫌ならホテルから手を引け
と里志を脅す。

浅墓ではあるが、理解のできる感情の動き。
悪役をただの悪役にしないやり方で、浩次の切なさもきちんと描かれている。
浩次の元へ向かった里志が、自らノートパソコンを壊してしまうシーンは圧巻だった。

唯一『現代』から里志が持って来た全財産。

中にはここで生きていくために必要なデータが沢山つまっている。
新聞は勿論、へこたれそうになったときに見て心を奮い立たせていた紘未の写真。
全てがつまっている。
紘未を亡くした今、もう二度と失いたくないもの。
しかし、母の身ににもしものことがあれば紘未は生まれない。
彼女のお腹には既に紘未がいるのだ。
そしてそれとは関係なく、自分のせいで巻き込んでしまった彼女をこれ以上危険な目に合わせたくない。
いろんな感情を抱合して叫び、床にノートパソコンを思い切り叩き付ける里志。

逆上してナイフを振り回す浩次に刺されるも、
警察には訴えず、しかしもう二度と馬車道ホテルの人たちに迷惑をかけたくないから、姿をくらまそうと里志が決意するには十分な理由だ。
純子が里志への思いを募らせるにも十分な伏線だ。

伏線と言えば、新婚旅行で紘未が言っていた母が失くしたカメオ。
ここで浩次と揉み合った騒動で落とし、里志が拾う。
失くした場所も理由も分かった。
しかし、落ちた衝撃でカメオは欠けていた。
これもまた、里志が巻き込んでしまったと悔いる理由になる。

舞台化にあたりオリジナルキャラはたくさん出ているが、
その中でも秀逸なのは純子だ。
これは成井さんが、上川さんをモデルに書いた小説を
梶尾さんからの挑戦状だと思い、
舞台化するならあっと言わせたい、と考え
39年間の間に心触れ合わせる人間が一人も居ないわけがない、
と思って生み出したそうなのだが、これが里志の旅の人間味とリアリティを増している。
これを演じている坂口さんがまた素晴らしいわけで。
純子は里志のことが好きだ。
ホテルを救ってくれた恩人であることに加えてこの心情から、
姿をくらました里志を心配する。
弟同然に思っている浩次が怪我を負わせた相手なのだから余計だ。

里志の方でも純子の気持ちは分かっている。
だからこそ、紘未が生まれた朝居ても立ってもいられずに病院へ顔を見に来てしまった里志に
純子は全てを教えて欲しいとくいさがるし、里志もそれに応える。
真実を知り、協力してくれる純子が現れることで、
39年事故の日までをただ見守りながら過ごすしかない里志の日々が、少し救われる。
たった一人で体を壊し、癌を患っても生き延びることに、
手助けしてくれる人がいることでより現実感が生まれるし、切なさも増幅される。

そしてまた、この純子本人の立場も切ない。
自分の好きな人には、心の中に好きな人がいて、
彼はその人に心を奪われていて到底自分のことを好きにはなってもらえない。
それでも好きな人の役に立ちたい。
紘未を事故から救うことは、最愛の人の悲願でもあると同時に、
自分の恋が永遠に叶わなくなることでもある。
しかしそのために純子は、里志に尽くす。
同じ女としてあまりにも切なく辛い立場であると同時に、
それでも側に居られることはある意味で紘未より幸せな立場でもある。
そんな役どころを坂口さんが演じる訳で、
彼女の登場で人間というものがより深く掘り下げられていく。

DVDの特典映像で、坂口さんが
「よく切ないといわれるけれど、純子本人はきっとそうは思っていなくて
里志の傍にいられてただただ幸せだったと思う」
という言葉も印象的。
誰に迷惑をかけて自分の人生を犠牲にしてでも
過去へ遡って彼女を助けたいと思うのが愛ならば、
夢みたいな話を信じて、彼のために自分の恋愛感情まで犠牲にしてでも
好きな人に尽くすのもまた愛だ。

純子が協力してくれることによって、
里志は紘未の前に姿を現さずに彼女を見守ることもできる。
いよいよ里志がプロポーズするとき、
馬車道ホテルのレストランにふたりで食事に行き、シャンパンを贈る。
一幕の段階では、ふたりを引き合わせた妹が贈りでもしたのかと
大して観客の気を引かないだろう贈り主が、
里志自身であったことがここで判明する。

一幕では、婚約した後に楠本という謎の老人から話がしたいと言われる紘未と、
それに不審を覚える里志のシーンが出てくるのだが、
そのとき坂口さん演じる『楠本の秘書』という、やはり謎の女性が出てくる。
彼女はやけに里志に冷たく、
「あなたはここへ来る資格はない」
とまで言い放つのだが、ここまで舞台を全て見てくると、
如何に過去へ飛んだ里志が病に体を冒され、明日をも知れぬ状態であるのか。
事故の日まで命がもたない、自分の手で紘未を救ってやることができない。
紘未自身になんとかしてもらうしかないと諦めて
紘未を呼び寄せた年老いた里志の苦悩。

そして、やっと最愛の紘未と、39年を経て会うことができる喜び。
それをやはり39年間傍で見てきた純子にとって、
タイムパラドクス(原作では無視している部分だが)が起こるかもしれないので
当人同士を会わせる訳にはいかないのに、
紘未を心配する余り老いた里志との面会にまで付き添おうとする若い里志は
我儘に見えるだろう。
最愛の里志が、死を前にして、
本当は自分の手で救いたかったのを諦めてでも
救いたい愛する紘未との再会に立ち会おうとする、邪魔者でしかなかっただろう。

純子 のそういった気持ちの流れを知れば、
一幕でやけにつんけんした態度を取った理由も、
わざわざ説明されずとも自然見えてくる。
老いた里志は、紘未に全てを語り、あの日渡せなかったカメオを手渡す。
里志本人は勿論、それを見ていた純子の心境を考えると、それだけで涙が零れる。
本当なら、まだ里志が過去へ飛んでいない一幕で、
老いた里志が楠本と名乗って紘未を呼び出すのはおかしな話だ。
しかも、原作では里志同士が話をするシーンだ。
舞台でお芝居として演じる以上、里志同士、
つまり上川さんが同時に舞台に立つ訳には行かない。
若い里志と老いた里志を別の役者が演じる選択肢もあった。
しかし紘未と話をする設定に変えた。

所謂大人の事情であり、下手をすればしらけてしまうような設定なのに、
紘未に渡すために、あの朝渡せなかったカメオを持って過去に飛んだ里志、
という設定がここで生きてくる。
ここで死を前にした里志が、事故を自分の手で防ぐことはできなくても、
せめてカメオだけは自分の手で渡したいと思って当然だ。

事故の日、紘未は家にいて、里志も会社を休む。
里志が彼女の誕生日プレゼントとして買ったのは、
過去に飛んだ里志が紘未に手渡したカメオと同じものだった。
純子から紘未へ電話がかかってくる。
老いた里志は既に死んだのだと言う。
最愛の人を看取り、ひとり意志を継ぐために生きてきた純子。
「私と里志さんの間には何もありませんでした」と彼女は紘未に言う。

この一言に凝縮された、里志と純子それぞれの思い。
里志は諦めて、39年前で普通に生活することだって出来たはずだ。
紘未を救うにしても、その紘未には現在の里志がいるのだから、
自分は自分で純子と幸せに暮らしながら紘未を見守ることもできた。
それでパラドクスが起こるかもしれない。
しかしそれ以上に、紘未への思いが強かったのだ。
そして純子は、愛する男の純粋な気持ちを尊重した。
かくして事故が起きた時間になり、事故は起きなかった。
過去に飛んだ里志から貰ったカメオは消えてなくなり、
里志から「未来は自分の手で掴め」という伝言を預かり電話で伝えた純子も、
いなくなってしまう。
その先にあるのは、里志が自らの手で掴み取った最愛の人との未来だ。

純子はどうなったのだろう。
里志と出会わない過去を過ごし、同じこの時間をどこかで生きているのか。
里志のことは知らない。支配人になった梨田の娘である紘未のことは知っているかもしれない。
その婚約者である里志と、出会うこともあったかもしれない。
私は、純子の立場をとても切なく、辛く哀しいものだと思う。
だがそれ以上に、羨ましいとも感じるのだ。


舞台上で30代から70代までを演じ続けた上川さん。
敢えて鬘やメイクなどをしない演出について、上川さんが成井さんに
初めからこうするつもりだったのかと、DVDの特典で質問している。
必要とあれば、脚本を変えて舞台から去らせ、メイクをする時間を取ることも考えたが
上川さんの演技を見て、その必要はないと思ったのだそうだ。
野方を演じた西川さんが、舞台の上で数時間立ち続けることで
舞台上で生きている上川さんが、汗をかき、メイクも崩れていくことが
却って鬘などに頼るよりも、時間の経過を体現していたというコメントも素晴らしかったし
上川さん本人が、自分の演技を見て、これを老人であるとしてくれるのはお客様で
お客さんたちがそう認識してくれることで芝居が完成する、成立する
と話していたことも感動した。

その他、舞台上で大暴れする上川さんに
「よそではこんなことできないもんね~」と岡内さんが突っ込んだり
当時山内一豊をやっていたのでそのネタも盛り込むなど
そうした部分でも非常に面白かった。
上川隆也という役者の魅力は、やはり舞台だと思う。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 舞台
感想投稿日 : 2013年2月10日
読了日 : 2008年4月5日
本棚登録日 : 2013年2月10日

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