建築をめざして (SD選書21) (SD選書 21)

  • 鹿島出版会 (1967年12月5日発売)
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感想 : 24
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この本に関して☆を付けること自体が恐れ多いものだと思った。建築をめざして、で語った言葉は今なお現代建築で説明される言葉と共鳴する。コルビジェが目指した自由な平面はSANAAが目指す流動的な平面と、数学美や普遍性や標準と言った言葉は藤本荘介さんが語る音楽や非線形科学への参照となにが異なるのだろうか?コルビジェは平面(プラン)を行動の指針と言う。そして平面上では織りなされる立体と行動の「闘い」が繰り広げられると言う。そしてそのような闘いは律動(リズム)を生み、均衡をもたらし、多様性をもたらすと
バーナード・チェミが「建築と断絶」の中で語ったサヴォワ邸の「永遠の若さ/無時間性」への批判やハーバードのカーペンターセンターのスロープが持つ線形方程式的な型へ当て嵌めようとする形態はコルビジェの一部の特徴を無理に強調しているに過ぎないように思える。むしろヴェンチューリが「建築の多様性と対立性」の中で述べるようにグリッドに並んだ柱が持つ「秩序」とその柱すらもずらしてしまう「曖昧さ」との拮抗にこそ、「建築をめざして」で語られる建築観の本質が潜んでいるように思える。
「住むための機械」という言葉で現れる機械は、本書で登場する飛行機や船や自動車などによって強く工業技術/工学との連関を想像させるがむしろ数学や物理科学/基礎科学との連関への言及と考えた方が納得が行くように思える。そう考えた時、コルビジェが言う「機械」はgoogleが作り出す検索エンジンのようなシステム/秩序とどこか方向性が異なると言えるのだろうか?

建築は単に秩序立てや光の下の美しい角柱なのではない。私たちを喜ばせるもう一つのものがある。寸法だ。測ることだ。リズムを持った量として配分し、同じ息を持って生かされ、統一された巧妙な関係を到る所に及ぼし、平衡を保ち、<方程式を解くこと。>
本書 p.128

そこに見えるのは工業のメタファーとしての「住むための機械」というよりは近代科学のメタファーとしての「住むための機械」のように思える。特に注目に値する部分は「平衡」や「リズム」や「関係」へと光を当てている部分だと考える。これらの言葉は現代科学の分野でも今なお使われる基本語だ。googleは関係性の科学を用いて物事を測り、一つの秩序を作り上げている。

個人的にはコルビジェは他の近代巨匠に比べてわかりにくい。ミースのように美しい単純さと工匠的美しさではないと思う。それはコルビジェが建築を強く芸術と結び付けていることに起因していると本書を読んで感じた。様々な都市計画を提案したりと社会的な側面も目につくが、社会性は最低限のマナー程度にしか考えてなかったと本書を読んで強く感じた。そういう意味で決してデザイナーやプランナーではなく、アーティストでありロマンチストだったのだ思った。

読書状況:読みたい 公開設定:公開
カテゴリ: 建築
感想投稿日 : 2010年12月19日
本棚登録日 : 2010年12月19日

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