うほほいシネクラブ (文春新書)

著者 :
  • 文藝春秋 (2011年10月19日発売)
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本棚登録 : 323
感想 : 35
4

なるほど映画というのは、もとより本質として”ああだこうだ言う人込みで存在するジャンル”なのか・・確かに著者が書評等他のものを評したものに比べると断然筆が冴え渡っている気がする。何度も吹き出しそうになった。
あまり関係ないが、ヤスい映画は独白や溜めの表情などを多用して鑑賞者を”神の視点”に立たせてしまう、という。そういえば自分って何をしてても自分が神の視点に立ちたがるところがあるなと気づかされた。

[more]<blockquote>P113 初めて出会ったその時に私が他ならぬその人を久しく「失っていた」ことに気づくような恋、それが「宿命的な恋」なのである。(宿命とは言い換えると既視感である)

P156 人間は自分で造形し、自力で演じるのである。私たちが「本当の自分は何者であるのか」といったことは問う必要のないことである。それよりは与えられた状況の中で、「自分がそうありたい人間」として、語るべきことを語り、なすべきことをなせ。ただしどんなときもそれが虚構であることを忘れるな。

P187 エリート教育を受け、戦争を生き延び、社会的成功を収めた男たちの、悠揚たる物腰から垣間見える「堪え難い浮薄さ」を小津は見逃さない。

P197 問わないという気遣いが時には必要なのは本当である「問わない」人にしか自分を託せないほどに疲れ切ることが時にはあるからだ。小津安二郎はそのような人間の疲れ方を本当によく知っていたのだと思う。

P208 よい映画というのは、「この絵が好き!」という強迫的な欲望にかられたフィルムメーカーによって撮られる。

P213 寒気がするほどリアリティがあるのは「何も考えていない顔」です。

P214 金で幸福は買えない。でも金で不幸は追い払える。

P247 「お先にどうぞ。あなたには私より多くの権利があり、私にはあなたより多くの義務がある」そう言いきれるために何をすべきかレヴィナス先生は語っていないが、映画の中でディカプリオ君はちゃんと語っていた。「今のこの瞬間を感謝とともに生きること」である。

P264 計算高さと無防備さ、イノセンスと邪悪さ、志の高さと性根の卑しさを同居させた魅力的な人物

P268 その都度言うことの変わるあいまいな人物が逆説的なことに「不動の定点」として時代の変遷を超えて人々の「燈台」となっているのである。

P309 彼らが無力なのは、自分が善良であることに満足しているせいで、おのれが無力であることを恥じないからである。たぶんスピルバーグは奴隷商人よりもこの「善良で無力な人々」の方を憎んでいる。(アウシュビッツのユダヤ人たちの命を現場で救ったのは、人間の邪悪さを熟知しているシンドラーというクールで計算高いビジネスマンだった)

P392 人間の暴力性とは「同語反復」であり、人間の知性とは「前言撤回」のうちに存するということ

P364 他人の悪夢は自分の悪夢ほどには怖くない

P372 何でもないことは流行に従う。重大なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従う。
</blockquote>

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 本・雑誌
感想投稿日 : 2018年10月18日
読了日 : 2012年11月17日
本棚登録日 : 2018年10月18日

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