1600年代前半のキリシタン弾圧についてのノンフィクション。対象へのアプローチの仕方が、なんというかファンっぽくてよい。例えば、天正遣欧使節団がリュートを引いたので自分もリュートを習うとか。ドニー・イェンにはまったぼくの友だちが、詠春拳を習おうとしているんだが、それに近いぞ。対象を自分にひきつけて、身体や感情ごと捉えているんだよね。
著者が調査を進めていく中で、調査対象の人物や土地の歴史と感情が同調するさまがとても魅力的だ。解説ではこの本について「キリシタンを巡る感情の歴史を書いた本」というような記述があった。これは、見事な指摘だ。ファン的なアプローチだからこそ、できたのだと思う。最近、専門家以外が「歴史」を語りにくくなっている。「最新の研究を参照しろ」「専門の教育を受けていない人間が口を出すな」「エビデンスを出せ」というような圧がある。いままでそれらが軽んじられてきたことへの反動や歴史修正主義への対抗で仕方がない部分はあるが、窮屈であることは否めない。著者は文学的想像力によるジャンプで、このような窮屈さを軽々と飛び越えて、当時の「感情」を描き出してくれる。
それにしても、自分は九州に住んでいながら、あまりに長崎のキリシタンのことを知らないことに恥じた。カトリックの歴史を残すことへの情熱と比べて、ぼくも含めた日本人の歴史へのまなざしはあまりにも冷淡で、それは慰霊への無関心にもつながっているのだろう。
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- 感想投稿日 : 2019年9月10日
- 読了日 : 2019年9月10日
- 本棚登録日 : 2019年8月16日
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