施川ファンで単行本買いしてる自分からすると、『まんがライフオリジナル』誌の中でこの作品はやたらと浮いてたりするんじゃないか、とか変な気をまわしてしまったりするんだけど、そういうもんでもないのか最近の『まんがライフオリジナル』。
それくらい淡々と「少年がどうでもいいことを考えている」だけを追った渋い4コマ。この考えても考えなくてもおなじ結論なんてない「どうでもいいこと」が施川節全開でもうどうしよう。と思ってオビをみると、「これは4コマじゃない。施川スタイルだ!!」と賛辞ではあるけど4コマ誌の連載に対するコメントとしてはだいぶ身も蓋もないことを浜岡賢次先生が書いていて笑った。うん、やっぱり広義の4コマとしては異端だよね。
『もずく、ウォーキング!』ほどには理屈っぽくなく、『サナギさん』ほど毎回ボケとツッコミが成立しているわけでもないので、ちょうどその中間あたりのポジションになるんだろうか。
連載初期は柊のモノローグに長方形のフキダシ(あれ正確にはなんて言うんだろう)が多用されていて、主体であるはずの柊からも第三者的に分離してナレーションのように無機質だったのに対して、連載が進むといわゆる 。oO(フキダシ) の形が中心になって、柊が身近で親しみやすくなってきた。『もずく』的手法から『サナギさん』的手法への変換だ。
かといって柊はサナギさんと違って人に自分の考えを話さない。ボケもツッコミも柊の中で完結している。ここが『サナギさん』との最大の違いだ。
たぶん柊はサナギさんのような形では読者に愛されないだろう。サナギさんが周囲のみんな(特にフユちゃん)とフレンドリーに自分の思ったことを共有することがあの柔らかな世界を生んでいたのと対照的に、柊と葵の間では意識の共有が成立していない。ただ読者だけが唯一、柊の考えを理解している。そういう狭いつながりの中で柊は読者に愛されることになるのだろう。より緊密ではある。
まあそういうことは、「鏡餅の餅+みかんってかなりミスマッチだ」という事と同じくらいどうでもいいことではある(※結論なんてない)。
- 感想投稿日 : 2008年10月10日
- 読了日 : 2008年10月10日
- 本棚登録日 : 2008年10月10日
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