読書について 他二篇 (岩波文庫 青 632-2)

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 「読書とは他人にものを考えてもらうことである。1日を多読に費やす勤勉な人間は次第に自分でものを考える力を失っていく。」
表紙にあるこの一文を一目見たとき、全身に衝撃が走り、すぐに本書を購入した。
なぜならば、近頃、私の中でぼんやりと浮かんでいた罪悪感というか満たされなさを見透かし、痛烈に批判されているような気がしたからだ。
ここ最近の私は、大学最後の余暇を迎えながらも、学生と企業人の隙間にあたるこの微妙な時間を何に使うべきか分からずに、ただ無目的に読書に勤しんでいた。
当初は、これまでに読んだことが無いジャンルの書籍を開拓し、新たな刺激を受け取りながら、それなりに楽しんでいた。しかし、徐々に、アウトプットイメージも無いままにインプットを続けている状態に、漠然な不足感を覚えるようになった。
アウトプットのためのインプット(読書)こそが正義だとは言わないが、やはりアウトプットイメージを持って読書をしているときの方が、読書効率も上がるし、主体的に本と向き合えている気がする。
そんなモヤモヤを、痛烈(すぎ?)な形で言語化している本書に出会った時の衝撃は、やはり大きかった。しかし、その衝撃は、自身が心に抱えながらもうまく言語化できていない考えが体系的にまとめられている作品を見つけたという感激と、自身が抱える不足感を見て見ぬ振りしながら、相も変わらず、盲目的な読書を続けていた私を叱責する者にとうとう見つかってしまったという絶叫(⁉)が含まれていた。

本書の内容は、表紙の文章だけを読めば、筆者は読書・多読を全面的に否定しているようにも見える。しかし、本編を読んでみれば、著者は読書・多読そのものを否定しているのでは無く、読書を"目的"にすることを否定していることはすぐに分かる。
つまり、ただ読了を目指し、その量を増やすことだけに躍起になっている人は、読書をしているとは言えず、ただ時間とお金、さらには自身の思考(脳)を浪費しているだけだと筆者は主張している。そして、自分自身で考え抜き獲得した知識こそ真に価値があり、自在に使いこなすことができる。そのため、読書とは自身で考え、獲得した知識を補填しさらに強固な知識とするためだけに読まれるべきだとも書かれている。

「読書は自身で得た知識をさらに磨きをかけるため"だけ"に為されるべきである」という主張に、諸手をあげて賛同できるわけでは無いが、確かに、盲目的に読書にふけることは、時間・金・労力を浪費しているだけであり、「読書から何か(メリット)を得る」という目的とは真逆の行動であるように思われる。
そして、この"盲目的読書"は誰もが陥りやすい落とし穴であろう。読書家の数が年々減少している現代においては、読書習慣があるだけで尊敬の念を向けられるため、ただ本を読んでいるだけで優越感に浸ることができる。しかし、本作著者によれば、そのような悦を得るためだけに為される読書は、「無価値(なんならば損失)」にあたる行為で、出版関係者の食い物にされているだけだと批判される。この批判は、非常に的を得ているからこそ、私がこれまで見て見ぬふりをして隠してきた思いを公然と叱責されているように感じた。これからは、真に価値のある読書を心がけようと思う。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 思想・哲学
感想投稿日 : 2021年10月30日
読了日 : 2021年10月29日
本棚登録日 : 2021年10月29日

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