第三の支柱――コミュニティ再生の経済学

制作 : 齊藤誠 
  • みすず書房 (2021年7月20日発売)
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感想 : 7
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序章
 取引の明示性と一回性が高いほど、取引の当事者同士の関係が薄くて匿名性が高いほど、取引可能な参加者集団が大きいほど、取引は市場取引の理想状態に近づく。取引条件が黙示的であればあるほど、取引する当事者の関係が濃いほど、潜在的に取引可能な集団が小さいほど、交換が平等でないほど、同じ当事者間で さまざまな取引が長期にわたって繰り返し行われるほど、取引は人間関係に近づく。個人を結びつけて一つ の集団にする蜘蛛の巣状の人間関係の網が厚いほど、コミュニティになる。ある意味、コミュニティと市場 は連続体の両端といえる。

 進化心理学の議論では、私たちが自分と血縁があったり外見が似ていたりする他人を助けるのは、遺伝的な本能だという。人類の進化の大部分が起きた石器時代、親族に対する利他主義は遺伝形質として人類の生き残りを助けた。だからこそこの形質自体も継承されてきたのだ。同様に、私たちは恩返しする人を助けるように遺伝的に進化したようだ。そして、恩返しをしないタダ乗り屋には強い嫌悪感を持つようプログラミングされている。
 私たちの土台にはこの素質がある。人は常に団結してきた。集団のほうが個人よりも防衛(または攻撃)にすぐれているからだ。現代社会においても、健全なコミュニティは自分や周囲の秩序を保ち、メンバーの安全を確保している。だがコミュニティの役割は他にも、ずっとたくさんある。

 コミュニティが好ましい理由は容易にわかる。まず自分が何者であるかという意識を作ってくれる。そしてコミュニティ内では多彩な取引が可能だ。これは、すべてについて契約を結び、法によって厳正な履行を強制されなければならない場合の比ではない。コミュニティのためにしたことの記録はコミュニティ内で可視化され続け、匿名の市場に消え失せはしない。それが自尊心、当事者意識、責任感を高める。コミュニテ ィは協力して子育てや弱者、高齢者、不運な者の支援にあたる。近さと受ける情報の深さのおかげで、コミュニティは状況ごとの具体的なニーズに支援内容を合わせることができる。また遠方の政府よりもはるかにタダ乗り屋に気づきやすく、給付を停止できる。結果として、利用できる資源は少ないにもかかわらず、本当に困っている人に、政府よりはるかに高度な給付を提供できる。コミュニティはこのように個人を助ける。教育や支援や拠りどころのない浮草人生の根になるのだ。

まとめ
 コミュニティはメンバーを支援できるが、有効に機能するのは特殊な状況においてだ。すなわちコミュニティのメンバーが、自分自身よりも、コミュニティとそのメンバーのより大きな効用に配慮するよう社会化されている場合(典型的には一緒に生まれ育ったか、民族的に同質な集団に当てはまる)、もしくは、メンバーに協力には価値があると思わせるような余剰価値(経済学で言う「レント」)が人間関係に埋め込まれている場合だ。銀行との融資関係で見たように、コミュニティが直面している最も重大な問題は、コミュニティのメンバー外部からかかる遠心力であるのは間違いない。外界からの競争がコミュニティ内部のレントを侵食するのだ。理想は、コミュニティが人間関係の温かさと契約によらない支援という魅力で惹きつけ、遠心力を相殺することだろう。包摂的ローカリズムの要は、これから見ていくように、近接性によって十分な便益を生み出すことで、コミュニティを包摂的に保つことなのだ。とはいえ人間は、競争と外部からの力を制限して、貴重な人間関係を守り、新たな人間関係を作ろうとする。この欲求は本書全体を通じて繰り返し取り上げる テーマだ。

1 強欲を許容する
まとめ
 紀元1000年末前後に、ヨーロッパで商業と金融が再び活発化し始めた。金融取引によって封建コミュニティの安定性が損なわれてくると、コミュニティは教会の動きを通じて反撃し、金融市場と商品市場で許 される行為に厳しい制限を課した。やがて、国家を統一した君主の力と市場規模が大きくなるにつれ、ビジ ネスおよび金融に対する制約が経済活動や君主の財政と摩擦を起こすようになった。反ビジネスの立場で封建コミュニティを守り市場を抑制していた学問的イデオロギーは、個人の取引の自由を拡大する寛容な考え方に道を譲った。主流の学問的見解が、いつものことだが、大衆のニーズに従って変化したのだ。理論的推 論とはそんな柔軟なものではないはずなのだが。 交易、土地の売買、債務によって封建的な相互義務は弱体化し、市場取引に取って代わられた。封建コミュニティが弱体化する一方で、国家と市場はともに成長した。
 教会権力も衰退し、国民国家が優勢になっていった。しかし、教会が権勢を誇った時代は、西欧の少なく とも一部地域の国家に、高次の法が存在しうることを認めさせ、より合理的な法制度の整備を促すという役 割を果たした。この頃から二つの争いが目立つようになった。一つは国内の覇権争いであり、王の軍事支出 に対抗できる勢力を持った少数の大地主を王が制圧しようとした。同様に激しかったのが、ヨーロッパに出現した国民国家同士が互いに優位を確立しようとする争いだった。この二つの争いが厳しい試練の場となり、憲法に制限された国家と現代の市場が形成された。


まとめ
 チューダー朝に象徴され、スチュアート朝の王たちが試みた絶対君主制は、 恣意的な権力を放棄し、以前よりも能力力を増した国家となった。国家は裕福な市民や投資家との社会契約を継続的に守るだろうと広く考えられるようになったため、国家は財産所有者の間で正統性を広く認められるようになった。また富裕層からの融資の道筋も保証された。国家の 正統性をおびやかす脅威が国内にはほとんどなく、国外の脅威に対抗する資金も必要が生じれば借りられるという確信が生まれたおかげで、選ばれた少数者のみを国家が優遇する必要はなくなった。 国家は、市場といっそうビジネスライクな立場に立って、自らを運営できるようになった。縁故主義はもっと開放的なビジネス環境に徐々に道を譲り、開放的なビジネス環境が、互いに競い合う独立した事業をさらに多く生み出し、それらが国家権力の抑止を可能にした。
 イングランドが強い国家財政を基盤として軍事的に力をつけ、競争市場(このおかげでイングランドは産業革命で有利な立場になった)を基盤に経済力もつけていく様子に、他のヨーロッパ諸国は注目した。 ヨーロッパの大権争いで後れを取りたくはなかったからだ。憲法で制限された国家に至る道が一つしかないとするのは限定しすぎだろう。アメリカ合衆国は、きわめてイングランド的な統治の精神を継承して独立共和国になったにもかかわらず、南部の地主階級を制圧するための内戦を経験した。 フランスは流血革命とその後の ナポレオン戦争と帝政を経て、ようやく憲法を持つ共和国になった (粗い逆戻り期間を除いて)。ドイツは統一、帝国、戦争、民主化、ファシズム、再び戦争を経て、これも憲法を持つ共和国になった。これから見ていくように、第二次世界大戦において、民主主義によって制限された国家と市場の両方が引き続き重視する環境を確保するうえで、アメリカは大きな役割を果たした。 しかし、多くの西欧諸国が戦後に必 要としたのは、わずかな後押しにすぎなかった。すでに政治的権力は分散し、競争市場を促進する構造が存在していたため、憲法によって制限された国家が生まれるための肥沃な土壌はできていたのだ。
 土地の私有が認められ、また作物市場と土地市場が出現したことにより、封建コミュニティが破壊されて多くの人々に痛みをもたらした。独立した私有財産所有者は、議会を通じて連帯して国家に影響を及ぼせたが、農民や、伝統的なコミュニティから追われて製造業で働く、当時数を増しつつあった労働者は、自分たち自身に関わる統治に関して明確な権利も発言権もなかった。次章では、産業化の加速にともなう自由民主主義への最後の歩みをたどろう。発言権を求める声は、成長する都市の労働者から特に強かった。彼らが暮らす劣悪な住環境が公共サービスを必要としていたからだ。 次章で見るように、民主主義を獲得したコミュニティは自ら組織化し、既成の政治勢力に対して自分たちの要求に目を向けることや、特に歯止めのない縁故資本主義に規制をかけることを求めた。 第三の支柱が再び力を持ち始めたのだ。

3 市場を自由化し、守る
まとめ
 資産家の利益集団に支配された議会を通じて、国家が憲法による制限を受けるようになると、その利益集団はもはや国家に対する封建的保護を必要としなくなった。国家による没収の恐怖から解放され、市場は繁栄したが、時としてコミュニティが犠牲になった。参政権を求める戦いは、多くの面で、コミュニティが失った力の一部を取り戻そうとした戦いだった。力を取り戻すにつれ、コミュニティは均衡の回復に寄与した。
 これが必要だったのは、何の制約もない初期の過熱した市場競争から生まれた新興の泥棒貴族たちが望んだのが、競争を排除して自分の地位を守ることだったからだ。封建時代にあからさまにあった独占志向が再び現れ、しかも今回は賄賂の利く政府も味方した。均衡は危機に瀕した。幸い、大衆という重要な集団が、政党や団体や互いに競合するメディアと連携して、民主的な圧力によって透明性と改革を実現させた。
 政治参加する自治的コミュニティは組織の自然単位だった。これによって組織的な抗議が容易になった。共通の経済要因がコミュニティを結束させ、人民党や進歩主義者のようなアメリカ全土におよぶ一大運動を引き起こした。システムがかつては機能していたという感覚が運動に自信を与え、改革は可能であり革命は必要ないと考えられた。偶然も味方した。企業側だったウィリアム・マッキンリー大統領が暗殺によって非業の死を遂げたこと、改革派のセオドア・ルーズベルトが後任になったことがあいまって、タイミングよく 反独占運動を盛り上げた。これら民主的な運動がシステムを引き止めて、おのずと縁故主義に流れる傾向に抵抗した。
 次章では、逆もまた真であることを見る。 市場が競争的であれば、健全な競争的民間セクターが生まれ、国家の権威主義的傾向は抑えられ、民主主義の活力は維持される。したがって市場と民主主義は相互に支え合うことができる。「できる」を強調したいのは、有権者が公共政策に無関心な状況や、私有財産や競争市 場に積極的に反対する状況もあるからだ。だからこそ、民主的抗議が最も奏功するには、タイミングが重要なのだ。つまりシステムが改革の手に負えないと人々が考える前のタイミングだ。


4 均衡におけるコミュニティ
 人々は公共サービスを当てにできるし、セーフティキットがうまく管理されていれば、人々は費用を支払う。 ことで受給資格を得るだろう。それにともなって、人々はインドの例に見たような政治的なパトロネージが 必要な状態から解放される。こうして人々は政治参加が可能になる。 活動がコミュニティに分化され れば、人々は実際に政治に参加するようになる。 こうしてコミュニティは反対運動の動員基盤となる。 政治参加が生まれたコミュニティは、監視の役割を果たし、政治的には縁故主義を減らし、市場競争を組 持しようとする。そうすると、 本章で強調したように、競争市場によって安定した効率的な民間セクターが生まれる。この民間セクターは国家から自立して、国家が権威主義に傾いた時の抑止力となる。このようにして、三本の支柱は互いに補強、抑止する。
 しかし第二次世界大戦が終わる頃には、国家の役割が増え、市場とコミュニティの役割は縮小する一方だ った。その変化は直線的でも継続的でもなかったが、時間とともに明らかになった。 国家が担った規制など の当初の役割は、公益にかなうよう機能させるために必要だった強調されたのはもっぱら、競争を 強化し、機会を増やすことだった。つまり、大衆運動が求めた改革に重点が置かれた。ところが、競争に対 する大衆の態度は大恐慌の間に逆転した。その結果、国家はカルテル化を支援しはじめ、それまで民間企業が担ってきた多数の活動に参入した国家が市場に口出しするようになったのだ。
 本章で見てきたように、国家はコミュニティをうまく支えていた。しかし国家はコミュニティに取って代 わり始めてもいた。政府の官僚組織が、コミュニティ補助によって開けられたドアから、公的資金の用途監 に入ってきた。官僚は専門帝国を築きたがる。 それによって地域の自主運営は減少し、コミュニ ティの政治参加は掃除され、民主的監視の重要な支柱としてのコミュニティは弱体化した。 こうして必然的 プログラムがになって、ニティ内の人間はしにくくなった。ミルトン・フリードマンとローズ・フリードマンが社会保障をまさに批判するように、かつて「[…] 子供たちは親を愛情ないし義務感から援助した。今、子供たちは強制ないし恐怖心から他人の親の支援にお金を出している。かつての移転は家族の絆を強めたが、強制移転は家族の絆を弱める」。実際、ジェームズ・ポターバの発見によれば、アメリカの高齢者は、社会保障の制度化以前に比べて、近年、若者の教育を支持しなくなっており、特に多様性の高いコミュニティでは顕著だそうだ。
 本書で歴史を繙いた一つの目的は、部族コミュニティないし封建コミュニティというサナギの状態から、それらの現代版へと三本の支柱が発展するさまをたどることだった。世界が第二次世界大戦から立ち直るに つれ、三本の支柱の現代の姿があらわになってきた。三本の支柱のうち、国家が優位になりつつあった。今度は戦後に目を移し、現代の不均衡がどのように進展したのかを見ていこう。


5 約束の重圧
 親国家、反市場の戦後コンセンサスはしばらくはうまくいった。市場は貿易を通じて拡大したが、厳しく規制されていた。成長は力強かった。それは、市場ががんじがらめに束縛されていたからではなく、別の諸要因のためだった。それらは1970年代前半に消えた。強い成長の時代は先進経済の民主主義を強固にした。先進諸国は二つの重要な公約をし、それは将来にわたって影響を及ぼした。まず国民に手厚い社会保障を約束した。そして多くの国が移民を拡大し、やがて自国の少数民族と移民の市民権も尊重するようになっ た。これらの公約を行ったのは、繁栄し自信に満ちた社会であり、強い成長は持続すると予測されていた。
 成長が止まると、支配的なコンセンサスは先進世界全般で反市場から反国家へと転換した。アングロ・アメリカ諸国は、常に個人主義の芽を抱えていたから、大きな国家に対する知識人や政治家からの反発がことのほか強かった。イギリスのような国では、コミュニティの役割すら縮小された。政治家は国家が奪った力を国から引き剥がそうと運動した。しかし、その力を奪っただけで、他に再配置しなかった。
 世界中で市場が自由化され、国境を越えた資本フローが容易になると、イデオロギー的には市場寄りでなかった国々でさえ、政府の政策に対する市場の反応を、有権者の反応と同じくらい気にしなければならなくなった。市場が政府の政策に制限をかけただけでなく、一部の国の政府は欧州連合や単一通貨ユーロのような超国家協定に拘束されることになった。これによって主権と地域の行動能力はさらに制限された。やがて、ICT革命が仕事と貿易に影響し始め、貿易を通じてその影響がさらに仕事に及ぶようになったが、債務に苦しみ過大な公約に縛られて厳しく批判された国家も、無力化したコミュニティも、国民のニーズに強く対応できなかった。しかも、良い時代に国家が導入した移民政策によって、コミュニティの構成が大きく変化していた。時勢がすでに変わったにもかかわらず、人々を結束させる共感を育もうという意識は生まれなかった。しかも時勢は今も変わりつつあった。グローバルに統合された市場を通して技術的進歩が急速に広まり、その流れを減速させる国境はほとんどなかった。一部の先進国の人々はほぼ捨て置かれ、自力で対応するしかなかった。能力の高い人々は迅速にうまく適応したが、それが残りの人々をいっそう苦境に追い込んだ。機能不全に陥っていくコミュニティに取り残されたのがそういう人々だ。彼らは自分たちに 押しつけられたシステムへの不満をつのらせていった。

6 ICT革命
まとめ
 アメリカでは、市場偏重が経済的不平等の拡大を招いた。その原因の一部は技術であり、また人間に由来 するものだった。一方、エリート主導のヨーロッパ統合計画は、国民の承認を求めることなく進められたた めに正統性の危機に瀕した。いずれのアプローチもバランスを欠いていた。
 不平等拡大には、人の能力を拡大することに改めて注力すること、そして政府による賢明な規制によって対処できたはずだった。 しかし各国が大恐慌と第二次世界大戦の遺産である集団主義から脱却しようとするにつれ、国民一般のムードが変わって、国民全体からの反応は期待できなくなった。ICT革命がグローバル市場を通じて伝播し、経済的不平等が悪化しても、それを埋め合わせるものはほとんどなかった。昔から不利な立場に置かれた都市のスラムに集住する少数民族コミュニティも、また、新たに不利な立場 に置かれることになった半農村地域の多数派コミュニティ出身の労働者も、自由化経済の利益を享受できなかった。むしろ次章で見るように、先進世界全般で、エリートの上位中間層は自分たちの利益に目を奪われ て、さまざまな経済層が混在したコミュニティを捨てた。上位中間層は既得権に対する戦いの先頭に立つのをやめ、自身が既得権の一部になったのだ。いまや制約のない市場が優位になった。イデオロギー上も財政上も制約を受けた国家と、弱体化したコミュニティの抑制力は限られていた。 先進世界は再び急進的ポピュリズムのリスクにさらされていた。


7 ポピュリズムの西側産業国での再来
まとめ
 金融危機から10年経ち、世界経済は回復したが、それは再び借金を増やしたおかげでもあった。金融の脆弱性が再び増す一方で、技術はさらに進歩し、多くの人々は新しい経済にまだ対応する用意ができていない。社会は均衡を取り戻さなければならない。国家とコミュニティ、両方の支柱が、人々がグローバル市場に参 加するために必要な支援を提供しなければならない。そうなってはじめて、個別の保護を求めて社会をバルカン化しようとする衝動を抑えられるようになる。
 残念ながら、今はエリート層に不信感を抱いている人があまりにも多い。開放政策は第二次世界大戦以降の世界では有益だったが、現在では疑問を持たれている。ポピュリストの単純かつ率直な議論に、主流派の 政治家が対抗し、開放政策はまだ妥当なのだと簡単な言葉で説明するのは難しい。戦後テクノクラートが受けてきた信任の価値は、そのような説明を一般国民に懇切丁寧にする必要がないところにあった。正しいことをしてくれるだろうと、おおむね信頼されていたからだ。今は違う。
 評論家のなかには、主流派政党同士が深刻に断絶し、互いを悪魔化して、協調しないことが、信頼の崩壊に拍車をかけ、人々を急進的な別の選択肢に向かわせていると言うものもいる。おそらくその通りだろう。だが、主流派政党同士があまりに馴れ合っても、同様に人々を怒らせる可能性がある。人々は既存政党などみな同じだと感じているからだ。窮状に陥り信頼を失った怒れる大衆は、急進的な政治家の肥沃な土壌だ。主流派政党がどういう立場を取ろうとそれは同じだ。
 今は危険な時代だ。もし人々が市場で競争する能力に自信をなくしたら、もし彼らのコミュニティが衰退を続けたら、もし人々が、エリート層は市場を独占し、能力獲得へのアクセスを独り占めして、すべての機会を専有してきたと感じたら、大衆の憤懣は荒れ狂う怒りに転じかねない。民主主義は平等なアクセスを必要とする。 アクセスが不平等なら、民主主義はそれに対応する。その対応として、ポピュリストの急進的な 政治家がさらに選出されるようになるだろう。もちろん、こうした急進的なポピュリスト運動が改革を進め、排除よりも包摂を目指し、縁故主義やエリート層による機会の横領と戦うなら、19世紀アメリカの人民党運動や進歩主義運動のように、均衡を回復するきわめて健全な是正策になるだろう。
 しかしありそうなのは、カリスマ的リーダーに率いられたポピュリスト・ナショナリスト運動が、包摂より排除を求め、均衡を回復することなく、歪めることだ。ポピュリスト・ナショナリストは持続性のある解 決を提案しないが、それでも破壊力は持っている。制度化された抑制と均衡が、新たなナポレオンをしばらくの間は抑え込めるかもしれない。しかし大衆の意思にいつまでも対抗できる制度はほぼない。他の力によって制度を支えることが必要だ。ポピュリスト・ナショナリストの目論見の根幹は、こうした力を弱体化することだ。
 権威主義的な縁故資本主義国家が現れてきた。貿易や人と資本のフローによって形成される国同士の結びつきに反発し、多国間協定や多国間統治に反発するが、にもかかわらず、この地球上で共存しなければならない相手だ。このような分裂した世界では、私たちが20世紀の遺物にしたいと願った大国同士の世界紛争の亡霊は不可避的に復活するだろう。


9 社会と包摂的的ローカリズム
まとめ
 各国が現状の移民フローすら吸収できず、激しいポピュリスト・ナショナリズム運動に対応しているときに、移民の受け入れ継続の必要性を説くのは能天気に思われるかもしれない。しかしよくあることだが、今日の議論は近視眼的で、国の行く末の未来を現実的に捉えていない。先進諸国の多様化の流れが逆行して、それでも自由民主主義という基本的な性格を失わずにいられるとは想像しにくい。日本のように民族的な同質性が高く、まだ多様化を進めるか否かの選択肢を持っている国々とは異なり、大きな移民人口と少数民族人口を抱える民主主義の文明国に選択肢はない。出生率の違いから多数派が少数派になろうとしている国々にとって、ポピュリスト・ナショナリズムは誘惑的だが間違った脇道だ。包摂的ローカリズムこそがより優れた、実現性の高い選択肢だ。
 多様性に取り組む多くの国には、市民ナショナリズムを示唆する市民権の枠組みなど、本章で提案した構造の多くがすでに備わっている。これらの国々がなすべきは、コミュニティに分権化しつつ、コミュニティ 間のモノと人のフローを奨励して、接触を重ね、コミュニティ同士がやがて相互の違いを認め受け入れるよ うにすることだ。次章では、コミュニティ間の架け橋作りに国家がどのように寄与できるかを検討する。市民ナショナリズムの傘の下での国づくりは終わりのない事業なのだ。


10
まとめ
 本章では、連邦政府から地方政府を経てコミュニティへとつながる力の開発を論じた。これは均衡回復への重要な一歩となるだろう。 中小企業が多数あれば、経済力が分散してベヒモスとリヴァイアサンが癒着できなくなるが、それと同様に、多数の小規模コミュニティに力を委譲すれば、政治力が分散して、よからぬ癒着を独立した立場からチェックできるようになる。活力あるコミュニティはアイデンティティ感覚を育み、目的意識を植え付ける。グローバル市場と遠い政府のせいで空洞化してしまった社会的関係を再生するのだ。コミュニティはまた、分断的な多数派国家アイデンティティを薄め、国家間の摩擦をやわらげる。残念ながら、多くのコミュニティは多くの国で機能不全だ。それは第一には、コミュニティを支えていた経済的基盤が消失したからだ。次章ではコミュニティの機能不全の再生方法を検証する。


11
まとめ
 技術のおかげで世界中とやりとりできるようになったにもかかわらず、私たちが抱える一部の問題への解決策が身近なもの、すなわちコミュニティを活用することにあるのは一見逆説的だ。遠くのものにはできな いことは多い。身近なものが私たちをつなぎとめる。それは私たちの体験がますますバーチャル化している 時代には必要なものだ。したがって、身近なものを再生させることは、私たちが人間らしさを失わないため に不可欠だ。これを道しるべとして、私たちは問題が山積する世界をよりよくするよう取り組んでいかなければならない。



12 責任ある主権
まとめ
 ハーバード大学のダニ・ロドリックは、グローバリゼーション、民主主義、国家主権は三つ同時に成立させることが不可能なトリレンマだと主張してきた。二つの両立は可能だが三つすべては不可能だという。しかしトリレンマとされるものがみなそうであるように、異なる目的を同時に成立させることが難しいというのが意味するのは、理論的、審美的に美しい解決策が見つけられないということにすぎない。たいていの政策にはトレードオフがあり、各国はなんとかやりくりする方法を見つけなければならないのだ。
 グローバリゼーションの試みは二つの面で行きすぎていた。金融フローなど、すべての国の繁栄に必ずしも必要ではない国境を越えるフローを奨励しようとしてきた。そのようなフローを無制限に認めれば、一部 の国はむしろ害を被るかもしれない。国境を越えるフローを認めるか認めないかの判断は、おおむね国に任 せるべきで、その例外となるのは財とサービスの貿易など、いくつか限定的な注意点はあるが) 長期的にはす べての国にメリットがあることが明らかなわずかなものだ。そして貿易について多国間機関が持つ役割は、 各国の財とサービスの関税を引き下げ、低く抑える方向へと促すことだ。 グローバルな競争市場のメリット は効率性の向上だけではない。それによって各国に、より強くより独立した民間セクターが育ち、民主主義 主権 も強化されるかもしれないのだ。
 同時に、高い取引費用を避けるためにどうしても必要でないかぎり、各国間でルールと規制を調和させる ことにあまりこだわるべきではない。国際レベルのルール作りのプロセスは透明性に欠け、 非民主的だ。し かも、調和によって法開の多様性と競争が低下してしまう。拘束力のある国際協定は人々の自己決定意識を低下させるので、控えめに使われるべきだ。低い関税を確保するためだけにとどめ、それ以外のルールと規制はほぼ調和させないのがよい。これが民主主義と国家主権を尊重しながら、グローバリゼーションのメリットを享受する一つの方法だ。
 国内政策に関しては、各国に自由裁量を与えるべきだ。ただし例外が二つある。第一に、他国に持続的な マイナスの影響を及ぼす政策が合法かどうかについて、集合的な協定ないしルールを考案すべきだ。このようなマイナスの政策には警告を与え、当事国に中止を依頼して、従わない国には国際機関が総力を挙げて対 処すべきだ。第二に、二酸化炭素排出や乱獲のようにグローバル・コモンズに影響を及ぼす行動は、世界的 に合意された制限の対象とすべきだが、目標設定のプロセスには各国の国民が参加して、合意を形成しなければならない。
 グローバリゼーションは管理する必要がある。各国はグローバリゼーションを管理する道具を取り戻さな ければならない。それはつまり、国際協定が奪った力を徐々に各国に戻すということだ。 行動する国家主権 が拡大すれば、各国は国際的な責任を受け入れなければならない。各国がグローバリゼーションに対する管 理を強めていけば、利己的ナショナリズムへの衝動は、地球という唯一の住処でともに生きなければならないという自覚によって、うまく緩和されるだろう。


13
まとめ
 不均衡が生じると、すべての支柱を一番低いものに合わせて切りそろえたくなる。それで通常は均衡が戻 るだろうが、社会にとって三本の支柱の水準は大きく下がってしまう。よりよいのは、どうしても必要な時 にだけ本の支柱を押し下げ、むしろすべての支柱をそろって最大レベルに引き上げることに集中すること だ。それが社会が進歩する唯一の道だ。この考え方をあてはめると、今はコミュニティに復活のチャンスを 与えるために競争市場を制約したくなるだろう。これは縁故主義など、逆転させにくい他の力を解き放つだ ろう。それよりも市場の機能を改善するのがよい。そして同時に、国家を見直し、コミュニティを強化するのだ。

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カテゴリ: 本・雑誌
感想投稿日 : 2022年4月29日
読了日 : 2022年4月29日
本棚登録日 : 2022年4月29日

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