はじめに『ゲルマニウムの夜』を読んだとき、「これはとんでもないシリーズだ」と思った。そのぐらい評価が高い作品の続篇なので、読む前にやたらとハードルが上がっていたせいかもしれない。本作ももちろん良い作品には違いないが、「あれ、こんなもんかな」という感じがしてやや拍子抜けしてしまった。ただ、赤羽修道士を主人公とした表題作はとくに傑作で、この作品のなかにはさほどキリスト教的要素は登場しない(そもそも赤羽は「元」修道士だ)が、それでも全篇にわたってそのテイストが万遍なく塗されていて、この「宗教以外で宗教を描く」というのがこのシリーズ最大の特徴であり魅力ではないだろうか。(しかも、なぜか内容はきわめて宗教的だ。)こういう、アンビヴァレンスな感じ、逆説的な感じがすばらしい。このことを踏まえると、1作目より本作の評価が落ちてしまう理由として、併録された「刈生の春」における描きかたがあるのではないだろうか。この作品では、修道院の農場での過酷な生活を通して、指導者たちの「欺瞞」を映し出しているが、朧が直接不満を漏らすなど、その方法がどうも露骨すぎるのだ。もっと間接的に、比喩的にこの部分が描かれていれば、もっと高く評価することができたことだろう。ただ、視点や舞台や筋書を大きく変えても、根柢に流れるテーマがまったくブレないあたりはさすがの筆力である。この「王国」の行く末を、もうすこしだけ見守ってみようと思う。
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- 感想投稿日 : 2013年10月1日
- 読了日 : 2013年9月25日
- 本棚登録日 : 2013年2月8日
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