この世界を知るための 人類と科学の400万年史

  • 河出書房新社 (2016年5月14日発売)
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 人類が定住した理由に関する旧来の説は不完全であるように思われる。いまや多くの人が考えるところによれば、新石器革命はそもそも現実的な問題が理由で起こったのではなく、人間の精神性の成長をきっかけとした精神的で文化的な革命だったのだ。(p.41)

 人間以外の動物も、食べ物を得るために単純な問題を解決したり、単純な道具を使ったりする。しかし、たとえ原始的な形であっても人間以外の動物には決して観察されたことがないのが、自身の存在を理解しようとする探求の行為である。したがって、旧石器時代後期や新石器時代前期の人々が単に生き延びることから視線を逸らし、自分自身と周囲の世界に関する「不必要な」真理に目を向けたことは、人間の知能の歴史においてもっとも意味深いステップの一つだった。(p.44)

 ミレトスは、単なる交易の中心地というだけでなく、考えを共有する場でもあった。この都市では何十もの多様な文化の人々が出会っては言葉を交わし、ミレトス人もさまざまな地へ旅して多様な言語や文化に触れた。そのため、住民が塩漬けの魚の値段を交渉するように、伝統と伝統が出会い、また迷信と迷信が衝突し合うことで、新たな考え方への扉が開かれ、確信の文化、とくに因習的な知識に対して積極的に疑問を投げかけるというきわめて重要な姿勢が育まれた。(p.89)

 ニュートンは長い研究人生の中で、自らの運動の法則と自ら発見したたった一つの力の法則ー重力を記述する法則ーを用いて、地球と太陽系に関するさまざまなことを教えてくれた。(中略)化学反応から鏡による光の反射まで、自然のすべての変化は、究極的に力によって起こると信じていた。さらに、物質を構成する微小な「粒子」ー古代からの原始の概念をニュートンなりに解釈したものーどうしに作用する短距離の引力や反発力をいつか理解できるようになれば、自分が導いた運動の法則だけで、宇宙に観察されるあらゆる事柄を説明できるようになると自信を持っていた。(p.192)

 最初は死体防腐処理だった。この分野における科学的探求の始まりは、チャタル・ヒュユクにまでさかのぼることができる。まだ死体が防腐処理されることはなかったが、死の文化が生まれて死体を丁重に扱う特別な方法が編み出されたのだ。古代エジプトの時代になると、死者の運命に対する懸念が高まったことで、ミイラ化の技術が発明された。それが幸せな死後の鍵になると信じられていたし、もちろん蘇ってきて不満を垂れる人などいなかった。そうして、死体防腐処理のための薬剤の需要が高まった。新たな産業が生まれ、デュポン社の言葉をもじれば、「化学を通じてよりよい死後のためのよりよい製品」が求められるようになった。(p.200)

 生物学が誕生するよりかなり以前から、生物を観察する人たちはいた。農民や漁師、医師や哲学者はみな、海や田舎に棲む生物について学んだ。しかし生物学は、植物の目録や鳥の野外観察図鑑の詳しい記述だけに留まらない。科学とは、じっと座って世界を記述するだけでなく、飛び上がってアイデアを叫び、我々が見たものを説明してくれるものだ。しかし、説明するのは記述するより難しい。そのため科学的方法が生まれる以前の生物学は、ほかの科学と同じく、理にかなってはいるが間違った説明や考え方に満ちていた。(p.242)

 ダーウィンがかなりの時間を費やしたもう一つの問題が、生物の多様性だった。なぜ自然選択は、これほど多様な生物種を生み出したのか?ヒントになったのは、当時の経済学者がたびたび論じていた「分業」の概念だった。アダム・スミスは、一人一人が一つの製品を最初から最後まで作るよりも、それぞれの人が専門化したほうが生産性が上がることを明らかにしていた。この考え方をヒントにダーウィンは、同じ広さの土地でも、おのおのの生物がきわめて特化してそれぞれ異なる自然の資源を使うほうが、より多くの生物を養えるという仮説を立てた。
 もしこの仮説が正しければ、限られた資源をめぐって競争が激しい地域のほうがより多様な生物が見られるはずだとダーウィンは予想し、それを裏づける、または否定する証拠を探した。このような考え方が、進化に迫るためのダーウィンの新たな方法論の特徴だった。ほかの博物学者は、化石と現生生物とをつなぐ時代的な系統樹の中に生物の進化の証拠を探したが、ダーウィンは現代の生物種どうしの分布や関連性の中にそれを探したのだ。(pp.268-269)

 プランク本人がのちに科学について語った次の言葉は、むしろどんな革新的アイデアにも当てはまるように思える。「新たな科学的真理は、それに反対する人たちが納得して理解することによってではなく、反対する人たちがやがて世を去り、その真理に慣れ親しんだ新たな世代が成長することによって勝利を収める」(p.296)

 研究の最前線は霧の中に隠されており、積極的な科学者なら誰しも、つまらない道や行き止まりを進んで無駄な努力をするものだ。しかし成功する物理学者が一つ違う点は、得るところが多くてしかも解決可能な問題を選ぶこつ(あるいは運)を持っていることだ。
 前に物理学者の情熱を芸術家にたとえたが、私はいつも、芸術家のほうが物理学者よりはるかに有利だと感じている。芸術では、何人の同業者や批評家が酷評したところで、それを証明することは誰にもできない。しかし物理学では証明できる。物理学では、「美しいアイデア」を思いついてもそれが正しくなければほとんど慰めにならない。そのため物理学では、あらゆる革新的な試みと同じく、難しいバランスをとらなければならない。選んだ問題を慎重に追究しながらも、何も新しいことを生み出さなかったという結果にならないように注意しなければならない。(p.320)

 どんな時代に生きているにせよ、我々人間は、知識の頂点に立っていると信じたがる。かつての人々の考え方は間違っていたが、自分たちの答えは正しく、今後もそれが覆されることはないだろうと信じるのだ。科学者も、さらに偉大な科学者も、ふつうの人とお味くこの手の傲慢さを抱きやすい。(pp.382-383)

(解説)科学はそもそも、太古から人類が持っていた、身の回りの世界のことを理解したいという本能的欲求に端を発している。だから、科学的な探求をしたいという思いは、どんな人の心にも秘められている。またいくら超大物の科学者でも、我々一般人と同じくなかなか前に進めずに苦悩し、ときにはまったく見当違いの道を進んで膨大な時間と努力を無駄にしたり、どうしても同業者の手助けを必要としたりする。(p.388)

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感想投稿日 : 2016年10月3日
読了日 : 2016年10月3日
本棚登録日 : 2016年10月3日

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