一貫して見落とされてきたことは、「どこで語られたか」「どのような方法を用いて語られたか」である。政治研究が「内容」に。歴史研究が「事実」に関する分析や批判であるとするならば、メディア研究はまず「形式」を分析する。この点に着目することで、ある思想が「どのように存在・構築・普及(媒介)されてきたか」という本書を貫通する全体の問いに答えらえると考えている。そして、その結果、学問とは異なる「ゲーム」のあり方を解明できるはずだ。(p.27)
なぜ彼らの主張が「論破マニュアル」へと先鋭化していくのか。より踏み込んでいえば、なぜ「論破」や「説得性」が重要な証拠や証言の重みを無視して、イデオロギー闘争の恍惚感を与えるのか。おそらく、その理由は、第1章で指摘した「アマチュアリズム」にある。アマチュアは、専門家ではないからこそ、適切な歴史資料を調査する責任(や労力)を負わなくても「専門家ではない」と言えば免責される。アマチュアであるかぎりは、論戦に必要な知識だけあればよく、対抗するイデオロギーの「論破」さえできればいいからだ。(pp.110-111)
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- 感想投稿日 : 2018年9月6日
- 読了日 : 2018年8月27日
- 本棚登録日 : 2018年8月6日
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