アスペルガー症候群の難題 (光文社新書)

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  • 光文社 (2014年10月15日発売)
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感想 : 12
5

 本のタイトルは著者の希望だけでなく、出版社の販売戦略もかかわるのだろうが、これは上手いタイトルだな、と。新書というものは『なぜアスペルガー症候群の少年犯罪が多いのか』などというタイトルになりがちだが、あまりに物議を醸しそうなタイトルでも困るわけだし。そこでこれは『アスペルガー症候群の難問』だなあといわれれば、そうだなあと思うわけだ。
 精神障害者に犯罪が多いのどうかと論ずるのはちょっとタブーみたいな風潮がある。当面、統合失調症については健康な人間よりも犯罪率が高いことはないといわれておりそれは確かそうなのだが、アスペルガー症候群ではどうなのか。
 本書の結論はアスペルガー症候群の犯罪傾向は一定の割合で存在する、ということである。他人との共感性が乏しく、他人がどう感じているのか理解しにくいといった特性が周囲との軋轢の中で犯罪行為へと結びつくというのはありそうなことだし、実際、種々の研究においてもそのような所見が得られているという。

 ただすぐに留保しなければならないことがいくつかある。犯罪を犯す要因として精神障害はごく小さな要因のひとつに過ぎず、それよりは家庭の貧困、親の虐待、社会の状況などよく知られた要因の影響のほうが大きいことである。またアスペルガー症候群が犯罪と関わるといっても、アスペルガー症候群の病理が必ずしも直接的に犯罪に結びつくというわけではなく、様々な要因が絡まっている可能性が高い。そしてアスペルガー症候群が犯罪と関連するということを明らかにすることは彼らを差別するためではなく、必要な介入をして犯罪を未然に防ぐという点で重要だということである。

 冒頭で著者は犯人がアスペルガー症候群と思われる犯罪をずらっと列挙するが、後半でその3つを取り上げる。ひとつは酒鬼薔薇聖斗、神戸の連続児童殺傷事件である。この14歳の犯人がアスペルガー症候群だったかどうかは公式見解がないが、著者はその特徴を濃厚に有しているとみる。そしてこの事例はアスペルガー症候群においてはその病理が直接犯罪に結びつく一群がいるのではないかと思われる一例として呈示されているようだ。
 ふたつめが1999年の全日空61便ハイジャック事件である。犯人は空港の警備の不備を空港会社に指摘したあと、実際にその不備を突いてハイジャックを実行し、機長を殺害した上で、自分自身が操縦を試み、あわや住宅街に飛行機を墜落させるところだったというものである。この犯人は対人関係がうまくいかないことに悩みつつ、なんとかそれを解消しようと努力と挫折と繰り返したすえに犯行に及んだもので、この症候群に適切な介入がなされれば犯罪を防げたかも知れないという事例である。
 最後が公判における「死刑でいいです」という台詞で有名な大阪姉妹殺人事件である。この犯人は16歳時に母親を殺害し、少年院出所後に再犯した。アスペルガー症候群とされた精神鑑定書は公判では採用されなかったが、著者はアスペルガーの特性が犯行に結びつき、その特性が矯正に結びつかない理由となったとみる。つまり刑罰を重くしても再犯を防ぐ効果はない(もちろん死刑にしてしまえば別だが)ということである。ではアスペルガー症候群の犯罪において再犯を防ぐような矯正は可能かということについては、効果は十分立証されてはいないが、方法がないわけではないだろうという辺りが著者の結論である。

 何よりも著者の主張は、現在、容疑者がアスペルガー症候群だった場合にそれを報道しないというマスコミの自主規制があるらしいが、そのような情報の隠蔽からは対処が生まれないということである。もちろん、犯罪とは関わりのないアスペルガー症候群の当事者や家族の心情もある。他方で犯罪が起これば被害者が生ずることも厳然たる事実である。社会としてはバランスをとるしかないが、それは隠蔽一辺倒ではないはずだ。
 しかし評者がもっとも「アスペルガー症候群の難問」と思ったのは裁判員制度の問題である。イギリスのウィリアム王子夫妻は気さくな性格で人気が高いそうだ。それは結構なことだが、本書読了後にそんなコメントを聞くとその陰画が思い浮かぶのである。つまりアスペルガー症候群の犯罪に至る思考過程は共感しがたく、極悪人にみえてしまう。一般人の素朴な感覚を司法に導入しようという裁判員制度は、アスペルガー症候群の特性を理解した判断よりは、彼らは理解不能で恐ろしいという素朴な感覚を司法に導入し、結果として量刑が重くなる傾向をもたらす可能性が高い。ところが上述のように彼らに重罰を科しても再犯の抑止に結びつかない。難問である。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 評論
感想投稿日 : 2016年2月23日
読了日 : 2015年5月4日
本棚登録日 : 2016年2月23日

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