私たちは、無意識に呼吸をしているわけですが、肺炎になんかなったら、嫌でも呼吸を意識せざるを得ないわけですよね。意識しないで呼吸できるって、ありがたいことですよね。
和解といっても、他者との和解ではなく、自分自身との和解という話みたいですね。仏教哲学では、心には意識と呼ばれる表層部分と、蔵識(阿頼耶識)と呼ばれる深層部分があるとのことですが、それは精神分析の意識と無意識(エス)のような関係でしょうか。
精神分析では、エスを意識化することによって心の絡まりが解れる?わけですが、仏教哲学でも阿頼耶識を意識化することによって、ものごとにこだわる気持ちや、不安に突き動かされ騒がしくなった心を鎮めることができ、避けて通れない運命を受け入れる力が手に入るということなのだと思います。
新型コロナウイルスは、罹患していない人の心にまで暗い影を落としますね。こんな時だからこそ、何もかも上手くいかなくて当たり前と開き直って、先ず自分自身を許してあげたいものです。そうすることで、他の人にも優しくなれるはずです。
無意識にしている呼吸を、意識的にすることによって、自分自身の心と体を意識する。そうすることで、生きていることのありがたさを実感し、生きていることの意味を考える時間を手に入れることができます。
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
人文科学(心理学・哲学・思想)
- 感想投稿日 : 2019年5月7日
- 読了日 : 2020年4月5日
- 本棚登録日 : 2019年5月7日
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