書棚から歌を/北海道新聞連載コラム

※本稿は「北海道新聞」日曜版2024年5月12日付のコラム「書棚から歌を」の全文です。

・ゴミ袋抱えて非常階段をメイドがくだるススキノ0時 
       山田航

 地名や人名、店名、商品名など、固有名詞は現代短歌を彩る要素の一つである。それら固有名詞が登場する1000首を集めたアンソロジー集がおもしろい。この地名が詠まれているのか、こういう名詞も歌語になるのか、など、発見に満ちている。

 たとえば冒頭の歌。歓楽街「ススキノ」のビル内の光景だろうか。メイドカフェでご主人様・お嬢様(客)に笑顔を向けていた「メイド」は、退勤時にはさながらシンデレラ。午前0時、ガラスの靴ならぬ、「ゴミ袋」を抱えて非常階段を勢いよくくだる姿に、非日常と日常との対比が光る。

  ・吉野家におやぢ一人は見苦しと中島みゆきが昔歌ひき 
    牛尾誠三

 札幌市出身の中島みゆきの名曲「狼になりたい」。歌詞の中に、牛丼店で偶然向かいあった中年男性客に関する一節がある。「吉野家」も「中島みゆき」も物語性たっぷりの固有名詞であり、喚起力がある。

 歌われた地名もさまざまだ。

 ・行先は駅前行きのバスにして其処から東京へも釧路へも行ける
   浜田康敬

 釧路市出身、宮崎県在住の作者であり、「東京」と「釧路」の取り合わせが目を引く。「駅前行き」というバスを選べば、どんな駅にでも思うがままに行けるような幻想が拡がり、ファンタジー性も濃厚。

 今後も、固有名詞の無限の可能性に注目していきたい。
(2024年5月12日掲載)

2024年5月12日

読書状況 読み終わった [2024年5月12日]

※本稿は「北海道新聞」日曜版2024年4月28日付のコラム「書棚から歌を」の全文です。

・翅うすく震わせながら蜜を吸う蝶ふくしまは今どこを翔ぶ 
   駒田晶子

 作者は、1974年、福島県生まれ。ピアノ講師だった2003年に角川短歌賞を受賞し、2冊の歌集もある。

 05年から「福島民報」に短歌とエッセーを連載し、この度、その中の54編を収めた書籍が刊行となった。1章は11年の東日本大震災以前、2章はそれ以降のものである。

 東日本大震災の当日は、第3子の切迫早産で仙台市の病院に入院していたという。電気も水道もガスも途絶え、3週間後にようやく復旧。家に残してきた2人の子どもが心配でならなかったそうだ。

 現在は仙台市在住であり、震災の年に生まれた子どももすでに中学生になっている。月日の流れの早さに驚きつつ、掲出歌のように、つねに故郷「ふくしま」を思わないときはない。美しくも繊細な「蝶」は、今、いったいどこを飛翔しているのか―。福島在住の友人や、故郷を離れた友人たちも、それぞれの場所で、それぞれの「ふくしま」を見つめているのだろう。
 
・さくらの花ももの花風にそよそよと人間がいなくなってもきっと

 フルーツロードが広がる福島市は、サクランボ、桃、梨、ブドウなどの直売店や観光果樹園が並んでいると聞く。有限の命である「人間」がいつかいなくなっても、花々は風にそよぎ、果物は実り続ける。「きっと」という結句に祈りのような感情が託されている。
(2024年4月28日掲載)

2024年4月28日

読書状況 読み終わった [2024年4月28日]

※本稿は「北海道新聞」日曜版2024年4月14日付のコラム「書棚から歌を」の全文です。

・風立ちてまだ春わかきわが庭にいちごは白き花もちてゐる 
 片山廣子

「まどはしの四月」。そんな魅力的なタイトルの小説がイギリスにあったらしい。片山廣子の戦後のエッセーで知ることができた。

 片山廣子は、1878年(明治11年)、東京生まれ。父は外交官であり、東洋英和女学校で学び、歌人の佐佐木信綱に入門。「心の花」に短歌を発表し、21歳で結婚後も翻訳などを発表。アイルランド文学の翻訳者としては、「松村みね子」の筆名がある。

「まどはしの四月」はこんな内容である。イギリスの中流家庭の主婦二人が、新聞でイタリアの古城を1カ月借りられると知り、いそいそと計画する。けれどもどうしてもお金が足りない。そこで、社交界の花形の侯爵令嬢に相談すると、気前よく資金を提供してくれることに。令嬢も一緒に立派な古城に行くことになり、夢のような四月を過ごす―。

 そんな小説を紹介しながら、片山は、年代もさまざまな女性たちがふらっと立ち寄って新聞を読み、魅惑的な情報を入手できるような場所が欲しい、と述べている。

「むづかしい本と軽いよみ物と交ぜて気分次第に読む。さういふ処で若い人と年寄とが親しくなつて、各【おのおの】の世界は無限にひろがつて行くこともあるだらう」。

 芥川龍之介や堀辰雄らとも親交があった片山は、つねに知的な空間で暮らしていた。だからこそ、すべての女性たちが魅力ある情報に出合える場も欲していたのだろう。
(2024年4月14日掲載)

2024年4月14日

読書状況 読み終わった [2024年4月14日]

※本稿は「北海道新聞」日曜版2024年3月31日付のコラム「書棚から歌を」の全文です。

・友情はある年齢【とし】を越えては生きられぬ蝶の齢【よはひ】をおもふその羽【はね】
 岡井隆

 近年、「友情」が社会学的にも注目を集めている。少子高齢化社会に加えて、家族制度の縮小もあり、老後のケアを見込んだ友情関係が期待されているようなのだ。

 そんな友情に着目した江田浩司の新刊は、近現代短歌を引用しながら「友情の限界」「友情と恋愛の間に」「友情と追悼」「友情の消滅」などを論じており、さまざまな濃淡の友情短歌を鑑賞することができる。

 ライバル関係の葛藤を含む複雑な友情や、女性同士のシスターフッドなど、多様な友情のかたちがあるが、冒頭の歌は、友情にも寿命があると認識したもの。「蝶」の成虫は2週間から1カ月ほどの短命であり、その「羽」の美しさと、短命ゆえに濃密な交友を感慨深く顧みた歌だろう。

 次の一首も深い趣がある。

 ・冷や奴うつむく酒にふさはしき友とゐてその白きを崩す 
  馬場あき子 

 60歳代の歌である。食膳に向かうとき、人はうつむく。気の置けない友と飲む酒には、特別な言葉はいらない。崩した豆腐の、直線ではない断面が示す哀感をも共有できる「ふさはしき友」なのだろう。

 岡井隆、馬場あき子ともに1928年(昭和3年)生まれで、いわゆる昭和一桁の歌人である。昨今の、SNSで淡く幅広くつながっている世代は、友情をどのように歌っているのだろう。読み比べてみたくなる。
(2024年3月31日掲載)

2024年4月1日

読書状況 読み終わった [2024年3月31日]

※本稿は「北海道新聞」日曜版2024年3月17日付のコラム「書棚から歌を」の全文です。

・それはもうかないっこないわ かないっこない〈走り〉は幼稚園の子にかなわない
   奥村晃作

 モノに即し、自明な事柄をそのまま言語化することでこころの流れを示す「現代ただごと歌」。それを提唱したのが、奥村晃作である。「現代」を冠しているのは、幕末期の国学者・橘曙覧【あけみ】らによる日常詠を、現代によみがえらせたからでもある。

 1936年(昭和11年)、長野県生まれ。社会科教員を勤めるかたわら、歌書や19冊の歌集を上梓【じょうし】。同じ短歌会に所属する今井聡が110首を選んで解説した新刊は、読みやすく、読みの手がかりをもらえた。

 冒頭の歌は、幼稚園に通う孫を歌ったもの。一字空けの部分に老身の息切れしているさまが表現されており、「かないっこない」という厳然とした事実と慈愛とが読み取れる。

・結局は傘は傘にて傘以上の傘はいまだに発明されず

 これは「イデア短歌」ともいうべきもので、傘の実存をとらえ、哲理をめぐらした一首と解説されている。傘というモノを探究し続ける、思弁的な歌なのだろう。

 そんな奥村には「八十の夏」「八十一の春」と題した歌集があり、80歳が大きな目安であったことがうかがえる。前者収録の歌。

 ・クリアをしクリアし生きを継ぎ行けばあなたもじきに八十となる

 ゲーム世代に伝わりやすい、ステージをクリアしていく生の歌。大丈夫、あなたにもできますよ、という自然な表情が魅力である。
(2024年3月17日掲載)

2024年3月17日

読書状況 読み終わった [2024年3月17日]

※本稿は「北海道新聞」日曜版2024年3月3日付のコラム「書棚から歌を」の全文です。

・今日よりはかへりみなくておほ君の醜【しこ】の御楯【みたて】と出で立つ吾は
  今奉部与曾布

 3月は卒業式、そして4月は入学式。東京大学の歴代総長たちは、式辞で学生たちにどのような言葉を贈ってきたのだろう。

 創立は1877年(明治10年)。その長い歴史の中には、冒頭の「万葉集」防人【さきもり】の歌を学生たちに贈った時代もあった。

 日中戦争下、13代総長平賀譲が、「諸君の多数はまた、遠からず皇軍に召されて、入営出征の光栄を担ふことにもならうと思ひます」と述べ、先の歌を引用していたのである。

 戦後は、戦没学生への追悼の辞も加わり、新制大学となってからは雰囲気も変わっていく。創立100年にあたる1977年、21代総長向坊隆の入学式の式辞は印象深い。落語や舞踏を引き合いに、「最も大切なのは『間』のとり方」と、余裕をもつことの重要さを説いていた。「ユーモアを解さない人間は、少くも国際社会では尊敬されません」と、海外でも活躍する社会人像がイメージされていた。

 95年、阪神淡路大震災後の卒業式では、25代総長吉川弘之がボランティア活動や人々の連帯の意識に触れ、「災害を前にして、できるだけ苦しみを共にしよう」という思いの発現に感銘を受けたと述べ、被災者への想像力、単なる同情に終わらない連帯の力に言及していた。今日にも通ずるものだろう。

 巻末、上野千鶴子名誉教授の来賓式辞も引用し、「ノブレス・オブリ―ジュ(高貴なる者の義務)」を強調した点も読みどころと思う。
(2024年3月3日掲載)

2024年3月3日

読書状況 読み終わった [2024年3月3日]

※本稿は「北海道新聞」日曜版2024年2月18日付のコラム「書棚から歌を」の全文です。

・月いでて、谷間広かりこの道は、バタアンの果つる港に行くか  
  野間宏

 三重大学教授の尾西康充による新刊「新しい野間宏 戦後文学の旗手が問うたもの」(藤原書店)に触発され、野間の代表作「暗い絵」や「真空地帯」等を読み続けている。

 戦後派作家で詩人でもある野間は、1915年(大正4年)、神戸市生まれ。京都大在学中に日中戦争が起こり、41年(昭和16年)、大阪市役所勤務時に召集された。その前後、17歳から30歳までの貴重な日記が翻刻されている。

 補充兵として入隊後、42年にはフィリピンに転戦、バターン、コレヒドール戦に参加した。マラリアにかかり帰国して原隊復帰するも、治安維持法違反容疑で陸軍刑務所に収監。そんなめまぐるしい数年間の心象が、日記や手帳の文字から読み取れる。
太平洋戦争さなかの44年、作家富士正晴の妹光子と結婚したころの手帳に、縦書きで短歌のようなものが書きつけられていた。冒頭の「バタアン」など兵役体験のほか、生活者としての決意のようなものもある。

 ・いかにしてわれらはともにくらすらん、ふしぎなる世のさだめ見つめん

 当時はまだ特高の保護観察下にあったため、散文で具体的に心のうちを書き記すよりも、短歌ふうのメモに折々の感情を託していたのではないだろうか。

 ・子を欲るはあがためならず子をもちて強くなるてふこの妻のため

長男誕生は、この歌の翌年のことであった。
(2024年2月18日掲載)

2024年2月18日

読書状況 読み終わった [2024年2月18日]

※本稿は「北海道新聞」日曜版2024年2月4日付のコラム「書棚から歌を」の全文です。

・火から火がうまれるときの静かさであなたにわたす小さなコップ    
  笹井宏之

 気持ちがふさぐと、長い文章や本を読むことがおっくうになる。けれども、見開きのエッセーくらいならば、ぱらっとめくって読み返すこともでき、負担にならない。そんな本を目指したのが、点滅社の「鬱【うつ】の本」である。

 点滅社は、東京都小金井市にあるふたり出版社。経営者の一人、屋良朝哉【やらあさや】は、1994年、沖縄県生まれである。自らが鬱で、精神科に通院する際には寺山修司の「人生処方詩集」を持参することも多いという。「毎日を憂鬱に生きている人に寄り添いたい」、そんな思いから、エッセーアンソロジー「鬱の本」が生まれたのだった。

 詩の一行の力、本の力への信頼が、84人の寄稿につながった。谷川俊太郎、町田康、山崎ナオコーラら詩人や作家、ミュージシャンの大槻ケンヂ、友川カズキ、友部正人ほか、若手詩人や歌人たちも寄稿している。

 掲出歌は、詩人でデザイナーの池田彩乃が引用した歌。沈んだ心にそっと手渡される、言葉という「小さなコップ」。しんどい人は、それを静かに受け取るだけで良いのだ。本の存在意義もあらためて思わせてくれる。

 ・きみだけを守る空気があるでしょう お土産にしたくなる、空気だ
   谷川由里子
 
 これは歌人の初谷むいが引用した歌。自己肯定しづらいときでも、守ってくれる「空気」は確かに存在する。そう、信じていたい。
(2024年2月4日掲載)

2024年2月4日

読書状況 読み終わった [2024年2月4日]

※本稿は、「北海道新聞」日曜版2024年1月21日付のコラム「書棚から歌を」の全文です。

・真夜中のバドミントンが 月が暗いせいではないね つづかないのは 
  宇都宮敦

 二歌人の対談による短歌入門書が話題になっている。一人は、1968年生まれで怪談作家でもある我妻【あがつま】俊樹。もう一人は、84年生まれで川柳作家でもある平岡直子。両者とも短歌結社には属さず、同人誌活動などで読者と交流しているという。

 最前線で活躍する二人が語るこの入門書には、2000年代の短歌が多数引用されている。それらを見ると、もはや短歌は口語がスタンダードであり、文語と歴史的仮名遣いの短歌は少数派であることも実感できる。

 正直、近年の口語短歌には意味のとれないものも少なくないのだが、その要因が的確に解説されていて腑に落ちた。曰く、意味のとりやすい従来的な短歌は「人生派」で、その対極ともいえる「言葉派」の短歌が、若い世代の支持を集めているらしいのだ。

 歌の中の「私」が作者の実人生と重なるものが「人生派」。対して、歌の中に「私」はほぼ現れず、言葉で共感させるのが「言葉派」。作者の属性や経験よりも、意外性ある語の組み合わせや巧みな比喩による言葉派短歌は、なるほど大喜利のようで受けるのだろう。

 掲出歌のような「三分割の歌」も増えているそうだ。「真夜中のバドミントンが」「つづかないのは」「月が暗いせいではないね」という散文的な表現を倒置させ、目を引く歌に仕上げている。

 近代短歌以来の上の句と下の句という二分割構造が、明らかに変化しているということだろう。刺激的な話題でもある。
(2024年1月21日掲載)

2024年1月21日

読書状況 読み終わった [2024年1月21日]

※本稿は、「北海道新聞」日曜版2024年1月7日付のコラム「書棚から歌を」の全文です。

・茴香【うゐきやう】をかげば恋しも身のはてにいつかよきことよき人あるらし
   若山喜志子

 放浪の歌人若山牧水の妻となる前の、20代初めのころの歌である。セリ科の「茴香」は、フェンネルとも呼ばれる香りの良い植物。喜志子は、その主産地でもある長野県で、1888年(明治21年)に生まれた。

 同郷の歌人の紹介で3歳上の牧水と出会い、東京で結婚。冒頭の歌で言えば牧水は「よき人」ではあったが、子どものいる家庭よりも、文学、酒宴、旅を優先。そんな夫の姿に、心をいためた折々もあったことだろう。

・軋【きし】れ車軋り軋りぬかるみをゆけその如く心いたみてやまず

 ぬかるみを走る荷車に自分の心をたとえ、「軋れ」「ゆけ」と、命令形で激しさを強調させている。とはいえ、その「いたみ」を荷物として引き受ける覚悟のほども思われる。

・莞爾として門はいづれど七人の敵にあふときく君はますら夫

「莞爾【かんじ】」はにっこりとほほ笑むさまだが、家の門を出ればたちまち「七人の敵」に遭うような「ますら夫」の「君」。それでも、帰るべき我が家があるので存分に闘っておいで、という包容力も想像できる。

 これまでは夫を支えるこのような歌が注目されていたが、近年は、戦時下における反骨精神に満ちた歌も話題となっている。牧水の妻というより、一人の歌人としての再評価の機運があり、貴重な視点と思われる。

 4人の子を育て、1968年没。享年80。
(2024年1月7日掲載)

2024年1月7日

読書状況 読み終わった [2024年1月7日]

※本稿は、「北海道新聞」日曜版2023年12月17日付のコラム「書棚から歌を」の全文です。

・「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ 
   俵万智

「現代短歌」の起点はいつごろなのか。これまで、評論家の菱川善夫は美と思想の観点から1940年(昭和15年)と定義し、短歌史に詳しい篠弘は55年ごろとし、ほか、敗戦後の45年で線引きする一般的な考え方も流通していた。

 それらを踏まえ、社会学者で歌人の大野道夫は、近刊で現代短歌の起点を85年と定めた。俵万智が角川短歌賞の次席となった年である。キーワードは「口語化」であり、掲出歌はまさに口語短歌の典型ともいえる。

 80年代後半は、「修辞【ことば】」「主題【こころ】」も口語化したと指摘されているが、加えて「私性【わたくしせい】」の変化という指摘も注目すべきものだろう。従来、短歌中の「私」=作者と解釈されていたが、生身の私でも全くの虚構の私でもない、〈私〉と表記すべき「作中主体」が定着してきたのが80年代後半であった。口語化の流れと伴走するように「私性」も変化した、という見解が多くの引用歌から導き出されており、印象的だ。

 虚構の父の死を歌った、2014年の話題作も引用されていた。

・ふれてみても、つめたく、つめたい、だけ、ただ、ただ、父の、死、これ、が、これ、が、が、が、が、 
   石井僚一

 これらのみならず、現代短歌はさらに変化をし続けている。巻末の寺井龍哉編の短歌史年表も参考に、現代短歌の「現代」そのものも丁寧に検証する機会になるかもしれない。
(2023年12月17日掲載)

2023年12月18日

読書状況 読み終わった [2023年12月17日]

※本稿は、「北海道新聞」日曜版2023年12月3日付のコラム「書棚から歌を」の全文です。

・髪五尺ときなば水にやはらかき少女【をとめ】ごころは秘めて放たじ
  与謝野晶子

「濹東【ぼくとう】綺譚」などの花柳小説や、戦後に公開された日記「断腸亭日乗」で知られる永井荷風は、1879年(明治12年)12月3日生まれ。星座は射手座だが、研究者の持田叙子は、「おとめ座」こそ彼に似合うと断言する。そして従来の評価を覆し、荷風こそ、家や結婚制度に妥協せず平和と幸福を祈る若い女性を描き出した作家なのだ、と強調している。

 若き日の荷風は、新聞や雑誌に小説を投稿する青年だった。19歳で「花籠」が「萬朝報」に掲載され、20代は欧米に留学。のちの「あめりか物語」上梓【じょうし】にもつながったが、渡米直前は、家同士が決める結婚に盾つくような、社会批判的な小説を書いており、それが再評価のポイントであるという。

 たとえば、「花籠」と同年作の「おぼろ夜」という短編がある。登場人物は、22歳くらいの芸者、駒ちゃんと花ちゃん。朝風呂からの帰り、世の中がいやになっちゃった、と駒ちゃんが家族の事情や複雑な胸中を語り、貝の酢の物を肴に朝から「正宗」の熱燗を飲みはじめる。男性の影はなく、女性二人きりの朝酒、という場面を描いた知識人男性・荷風の挑戦は、なるほど、再評価に値するものかもしれない。

 男性の目線や思惑にとらわれず、本音で生きる女性たちの生活空間に入り込んでいった荷風。掲出歌の晶子や、森鷗外の「おとめ」観ともつながるという検証も鮮やかである。
(2023年12月3日掲載)

2023年12月3日

読書状況 読み終わった [2023年12月3日]

※本稿は、「北海道新聞」日曜版2023年11月19日付のコラム「書棚から歌を」の全文です。

・悲しめと月が言うのか(そうじゃない)月にかこつけ流れる涙
  西行法師(東直子訳)

 慣れ親しんだ百人一首を現代短歌の形に訳すとどうなるか。軽やかな口語を得意とする歌人の東直子が、意訳も加えながら整えた百首は、新たな装いをこらしている。

 掲出歌の元歌はこちらで、恋歌でもある。

・嘆けとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな

 「やは」は反語で、月が私に物思いをさせるのか、いや、そうではない、の意味。微妙な反語のニュアンスを、「(そうじゃない)」とカッコを付けて現代語訳したことで、恋しい人のつれなさや、物思いの深さをより想像させている。

 下の句はシンプルでも、上の句の意味がとりにくい次のような歌もある。

 ・契【ちぎ】りおきしさせもが露を命にてあはれ今年の秋もいぬめり
 藤原基俊

 「させもが露」はヨモギの葉の上の露のことで、ここでは、息子の昇進についてある人物が「任せておけ」と言っていたことを指しているそうだ。残念ながらその「契り(約束)」は果たされず、落胆した基俊の、親ばかのような歌でもある。

 ・頼りにしてよ、の言葉よすがに生きてきた今年の秋も過ぎてゆきます
 東直子訳

 現代語訳では、読点を使ったこのような歌となり、過ぎゆく「秋」にしみじみとした憂いを添えている。「~ます」という表現に秘められた基俊の諦念も読み味わいたい。

◇今週の一冊 東直子著「現代短歌版百人一首 花々は色あせるのね」(春陽堂書店、2023年)

2023年11月19日

読書状況 読み終わった [2023年11月19日]

※本稿は、「北海道新聞」日曜版2023年11月5日付のコラム「書棚から歌を」の全文です。

・あかときの初瀬の山寺【さんじ】冷え冷えと寒牡丹の花芽清く青める
  中河幹子

 文芸評論家の保田与重郎や版画家の谷中安規らの郷里は、奈良県桜井。三輪の大神神社はじめ、素戔嗚【すさのお】神社、安倍文殊院など、古くからの神社仏閣で有名な土地である。

 その中でも、真言宗豊山派総本山である初瀬【はせ】の長谷寺は、「花の御寺」としても親しまれている。「万葉集」巻七では、〈こもりくの泊瀬【はつせ】の山に照る月は満ち欠けしけり人の常なき〉と詠まれ、「源氏物語」の「玉鬘」では、初瀬詣の場面も描かれていた。
 
 初瀬や長谷寺に関する和歌を集めた清水宥聖編「初瀬和歌集」(2014年)は読みごたえがあったが、今年、その続編にあたる「初瀬句集」が刊行された。俳句のほか、連歌・御詠歌など幅広く収録されており、長谷観音への信仰がそれだけ幅広かったということでもあるのだろう。

 現代でも、その名は歌われ続けている。「東西の長谷寺」という詞書【ことばがき】がある、22年発表の一首。

 ・コロナ禍の終らば訪【と】はむ牡丹花の長谷寺 美男のおはす長谷寺
    高野公彦

「牡丹の長谷寺」は桜井、後者は、与謝野晶子の歌〈鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな〉を踏まえ、鎌倉の長谷寺をさしている。折しも旅行シーズン、どちらも訪れてみたくなる。
(2023年11月5日掲載)

2023年11月5日

読書状況 読み終わった [2023年11月5日]

※本稿は、「北海道新聞」日曜版2023年10月22日付のコラム「書棚から歌を」の全文です。

・奥の手は左にありと伝え聞く 帯結ぶ手の見え隠れして
  笹島寿美

 作者は、松竹衣装などで着付けを担当し、「笹島式骨格着付け伝道者の会」を主宰する着装コーディネーターである。

 1937年(昭和12年)、福島県出身。歌舞伎や日本舞踊、レビューなどの着付けを習得後、ひも一本で自然に着物を楽しめる骨格着付けを考案した。

 「背骨まっすぐ、首と肩」。着物の土台となる長襦袢の着付けは、前は腸骨の位置に、後ろは第四腰椎に腰ひもを締めるという。女性は特に身長より長い着物を着るので、腰の位置でひもを締め、脊柱を安定させると着心地も良くなるそうだ。

 特別に「骨格」を意識するのは、人間は肉体そのものが衣服でもあるからという。なるほど、肉体は骨の衣服でもあり、その上にさらに布で包む、巻く、締めるには、骨格に沿うことこそ自然なのだろう。早稲田大学で「きもの学」の講義も担当したそうだが、日本文化論としても参考になる。

 40代で渡米し、ニューヨーク等で活動した後に帰国。帯人形や帯結びを披露するほか、帯を結んだ後ろ姿の幻想的な絵なども描いている。近刊の新書には、それらがカラーで多数収録され、新鮮な感動を受ける。

「きもの詩」の呼び名で、冒頭や次のような57577の着付け歌もあり、実用的だ。

 ・何事も段取りありて結果あり 着付けに使う小物そろえて
(2023年10月22日掲載)

2023年10月22日

読書状況 読み終わった [2023年10月22日]

※本稿は、「北海道新聞」日曜版2023年10月8日付のコラム「書棚から歌を」の全文です。

・林檎の木伐り倒し家建てるべしきみの地平を作らんために
  寺山修司

没後40年を迎えた寺山修司。10代から俳句、短歌で注目を集め、劇作家、映画監督など多方面で活躍した。その妻であり、離婚後も仕事上のパートナーとして寄り添った九條今日子は、晩年に何を語ったのか―。

九條は1935年(昭和10年)、東京生まれ。「九条映子」の名前で松竹歌劇団の舞台でデビューし、松竹映画に移ってからは多くの話題作に出演した。結婚を機に引退したが、新婚時の九條=「きみ」の姿は、歌にみずみずしく刻まれている。

67年、寺山が演劇実験室「天井桟敷」を創立し、九條は製作や映画プロデューサーを担当。目まぐるしい日々を送ったそうだ。

創立当時を知る青目海は、劇団を離れてから結婚し、長く海外生活を続けていたが、2009年に久々に九條と再会。お酒を味わいながらの交友は、14年の九條の死去まで続いたという。

劇団黎明期を共にした親しみからか、秘められていた九條の数々の「告白」が青目による回顧録に書かれ、興味深い。

たとえば、九條が寺山に惹かれた理由の一つは、石原裕次郎に似ていたから、という意外な逸話。また、青目がある日三島由紀夫からの誘いを断わったが、それは新宿文壇バーの関係者を通して次々に知れ渡り、寺山の耳にまで届いていたことなど。

アルマーニのスーツを着こなし、ハスキーボイスだった九條の魅力も再現された一冊。
(2023年10月8日掲載)

2023年10月8日

読書状況 読み終わった [2023年10月8日]

※本稿は、「北海道新聞」日曜版2023年9月24日付のコラム「書棚から歌を」の全文です。

・我といふ人の心はたゞひとり われより外に知る人はなし  
  谷崎潤一郎

 原稿用紙にペンで自筆、ではなく、口述筆記で小説を仕上げた作家も少なくない。たとえば、高血圧症などの悪化ののち、右手がまひしてペンを執れなくなった晩年の谷崎潤一郎。「源氏物語」現代語訳が完成間近の1953年から、京都大に勤めていた20代の伊吹和子を秘書兼筆記者に採用し、多くの小説を完成させた。ちなみに伊吹の給与は、中央公論社から支払われていたという。

 戦後の一時期、北海道大学に勤めていた武田泰淳も、還暦近くに脳血栓で入院。右手にまひが残り、その後は妻の百合子が口述筆記で原稿の清書にあたった。

 近刊の「口述筆記する文学」は、口述者に比べて筆記者が正当な評価の対象とされてこなかった点に着目している。筆記者は女性が多く、「ペン(筆記具)の代用品」「道具的存在」とみなされてきたと言及、そのような問題に触れた初の研究書ではないだろうか。

 もちろん、女性作家の夫が筆記者として執筆を補助した例も挙げられている。たとえば、「三匹の蟹」で芥川賞を受賞した大庭みな子は、96年に脳梗塞で倒れ、以降、夫の利雄が絶筆まで筆記を担当したという。

 また、代表作「塩狩峠」の中盤から長く口述筆記で原稿を仕上げた三浦綾子の夫・光世の存在にも触れられている。

〈内助の功〉で片づけられない筆記者の役割、ケア労働の課題等、大切な視点と思う。

◇今週の一冊 田村美由紀著「口述筆記する文学 書くことの代行とジェンダー」(名古屋大学出版会、2023年)

(2023年9月24日掲載)

2023年9月24日

読書状況 読み終わった [2023年9月24日]

※本稿は、「北海道新聞」日曜版2023年9月10日付のコラム「書棚から歌を」の全文です。

・をんなにはふかいかなしい希ひがある鼻つきだして梅雨の香をかぐ 
  山田あき

「女人短歌」は、1949年9月に創刊された、女性のみによる季刊歌誌である。全国的な超結社の試みで、97年に192号を出して終刊となったが、すべての表紙は洋画家の三岸節子が担当していた。

 創刊に尽力したのは、五島美代子、長沢美津、北見志保子、阿部静枝、生方たつゑらであり、掲出歌は創刊号より。「をんな」たちの長く秘めた「希【ねが】ひ」が迫ってくる。

 戦後のめくるめく社会情勢のもと、女性歌人の自己啓発に加え、評論や研究の発表の場としても貴重な誌面だった。また、「女人短歌叢書」と題する歌集シリーズを刊行した意義も大きい。

 その歌誌の歴史を詳述した近刊書のサブタイトルは、五島美代子が46年に発表した随筆の一節、「小さなるものの芽生えを、わが民衆から、女性から奪ふこと勿【なか】れ」からとられている。切実な肉声だったのだろう。

 読みどころの一つは、「女人短歌」巻頭の宣言文の変遷についてである。当初、「短歌創作の中に人間性を探求し、女性の自由と文化を確立しよう」をはじめとする4行書きの文があったが、53年には「女性の裡にある特質を生かして」が「個性を生かして」になるなど文章が変化し、58年の半ばからは、宣言文自体が掲載されなくなったという。女性を強調せず、「個」として互いに研鑽を積もうという意識のあらわれだったのだろうか。

◇今週の一冊 濱田美枝子著「『女人短歌』 小さなるものの芽生えを、女性から奪うことなかれ」(書肆侃侃房、2023年)

2023年9月10日

読書状況 読み終わった [2023年9月10日]

※本稿は、「北海道新聞」日曜版2023年8月27日付のコラム「書棚から歌を」の全文です。

・ロシア産鮭とアメリカ産イクラでも丼さえあれば親子になれる
  上坂あゆ美

 話題歌集2冊の作者が、互いの読後感を述べ合った「副読本」を興味深く読んだ。
上坂は、1991年、静岡県生まれ。祖母の死、母にも姉にも感じる距離感、離婚後に外国で再婚した父の死など、家族が主なテーマとなっている。掲出歌は、血のつながりなどなくても「親子になれる」と、家族関係がぎこちない読者をも励ましている。

 岡本真帆は、1989年、高知県生まれ。コピーライターを経て、作家や漫画家の作品編集などを手掛けているという。歌人としては、第一歌集が発売3カ月で5刷となり、1万3千部以上売れたことも話題となった。

 歌人同士で作品を評し合うと、はからずも、自身の作歌スタイルや手の内を見せてしまうこともある。たとえば上坂は「いい歌には加害性がある」と述べ、実際、自身も「バズーカに巨大な弾を込める」ようなイメージで歌ってきたという。

 そんな上坂が、岡本も「加害性」に自覚的だと言い当てた歌が、次の一首。

 ・火にかけて殺めることをためらえばゆっくりと死ぬ真水のあさり 
   岡本真帆

 なるほど、人間関係などで、配慮したつもりが逆にじわじわと他者を「殺める」結果になりうることを自覚しているのだろう。

 この夏、上坂はラジオ深夜番組のパーソナリティーとしてもデビューした。若いリスナーを励ます短歌がさらに生まれそうな予感。
(2023年8月27日掲載)

2023年8月27日

読書状況 読み終わった [2023年8月27日]

※本稿は、「北海道新聞」日曜版2023年8月13日付のコラム「書棚から歌を」の全文です。

・子の熱で休んだ人を助け合うときだけ我らきっとプリキュア 
  遠藤翠

 掲出歌は、女性が働くことをテーマに募集された「おしごと小町短歌大賞」の受賞作。愛知県在住、30代会社員の歌である。

 「プリキュア」シリーズは女児向けアニメで、力を合わせて悪の組織と戦う女子らのチームの物語。子の発熱で急に休みを取った先輩を、女性同士でフォローするさまがたとえられているが、「助け合うときだけ」という限定の表現に注目したい。普段はやや距離のある関係性かもしれないが、必要な折には支え合い、チームで成果を出すという職業人意識もうかがえる。きれい事に終わらせない歌いぶりに、リアリティーが感じられる。

 その賞の選考過程に加え、女性歌人36人の歌とエッセーを収めた「うたわない女はいない」には、道内在住者も4人いた。職場や業界全体の旧弊、あらわな壁、もやもやとした感情が言語化され、個人の歌であり、かつ、多数の声の代弁のようでもある。
 
・業界の未来を語るおじいさんおじさんおじさんおじいさんおじ
  浅田瑠衣(会社員)

・ロボットもニュースも男がつくるものビルは勃ちわたしは製氷器
  北山あさひ(テレビ番組制作スタッフ)

 北山は、在京・在阪テレビ局のコンテンツ制作部門の、女性最高責任者の不在(2022年7月現在)にも触れ、最新ニュースも取り入れながら問題意識の共有をうながしている。続編も読みたい。

2023年8月13日

読書状況 読み終わった [2023年8月13日]

※本稿は、「北海道新聞」日曜版2023年7月30日付のコラム「書棚から歌を」の全文です。

・夕影に来鳴くひぐらしここだくも日ごとに聞けど飽かぬ声かも
 「万葉集」

 日本の文学には、月明かりの風情や、豊かな闇の文化が保存されている。そう語るのは、「闇歩きガイド」として文筆活動を続ける中野純である。東京はじめ、関西や神戸などでも闇歩きツアーを開催し、五感を研ぎ澄ます闇の魅力を伝えているという。

 夏と初秋、そんな闇の入り口にいざなうのが、ヒグラシ。日を暗くするので「ヒグラシ(日暗し)」と呼ばれるそうだが、北海道でも、夕方と明け方に聞こえる「カナカナカナ…」という鳴き声は親しいものだろう。

「万葉集」にはセミを歌った歌が十首あり、うち九首がヒグラシの歌という。掲出歌の「ここだくも(幾許も)」は「たくさん」の意で、しきりに鳴くヒグラシの声が、毎日聞いても飽きることがないと歌われている。万葉人に愛されていたことの証だろう。

 本書の第四章「ヒグラシと暮らし、ヨアカシと明かす」では、「暮れ直す」という言葉を知った。明るさに合わせて鳴くヒグラシは、雨雲が垂れ込めて暗くなると、夕方でなくても鳴くことがある。雨雲が去って陽光が射すと鳴き止み、再び夕方に鳴き出す。その二度鳴きを「暮れ直す」と表現しているのだが、味わい深い詩語と思う。

 現代では、深夜でもコンビニの明かりがこうこうと街を照らしている。夏の夜、少しだけ明かりを消して、「闇」という物語装置にひたってみるのも一興だろうか。

2023年7月30日

読書状況 読み終わった [2023年7月30日]

※本稿は、「北海道新聞」日曜版2023年7月16日付のコラム「書棚から歌を」の全文です。

・今朝のみはしづかにねぶれ君のため米もとぐべし水もくむべし
 落合直文

〈緋縅【ひおどし】の鎧をつけて太刀はきてみばやとぞ思ふ山桜花〉が代表歌であり、「緋縅の直文」と称された作者。武士の時代から明治期に移り、その歌風は、滋味深い生活感あふれるものに変わっていった。

 落合直文は、江戸時代末期、現在の宮城県気仙沼市の武家に生まれた。仙台、伊勢、東京で国文学や神道を学び、旧制第一高等中学校などで教職についた。

 新体詩「孝女白菊の歌」を発表したのち、1893年(明治26年)に短歌結社あさ香社を設立。与謝野鉄幹ら若手を指導した。

 和歌革新運動の推進者であったが、自身の歌は日常的な材料が多かった。たとえば、掲出歌の「君」は妻のことだろう。体調を崩した妻に、今朝は料理も水汲みも心配いらないから、ゆっくり休んでいなさい(ねぶれ=眠れ)といたわっている。子どもたちの成長を歌ったものも少なくない。

 北海道ゆかりのこんな一首もあった。

・萩【シンケプ】といふあいぬ語をおこせたる友のかたより雁はきつらむ

 この「友」は、伊勢の神宮教院時代からの親友であった石森和男のことらしい。札幌で教職にあった石森は、札幌市南区に歌碑もある。

 アイヌ語でどのように言うのか、と問うほど「萩」を好んだ落合は、1903年(明治36年)、42歳で病没。「萩之家遺稿」と、遺稿にも「萩」の名が付けられていた。

梶原さい子著「落合直文の百首」(ふらんす堂、2023年)

2023年7月16日

読書状況 読み終わった [2023年7月16日]

※本稿は、「北海道新聞」日曜版2023年7月2日付のコラム「書棚から歌を」の全文です。

雷【らい】の音雲のなかにてとどろきをり殺生石【せつしやうせき】にあゆみ近づく
 太田水穂

〈春がすみいよよ濃くなる真昼間のなにも見えねば大和と思へ〉という秀歌で知られる、奈良県生まれの歌人前川佐美雄。10冊以上の歌集を残し、歌書も多いが、このたび、味わい深い「秀歌十二月」が文庫化された。

 その月にまつわる短歌を150首余り選び、解説を加えたアンソロジーで、万葉集や新古今和歌集から石川啄木ら近代歌人まで、幅広く選歌されている。

 さっそく「七月」の章を開くと、掲出歌が目に飛び込んできた。

 「殺生石」は、栃木県の那須岳にある大きな溶岩で、国指定名勝史跡でもある。「九尾の妖狐」が退治され、それが怨念化して石になったという伝説があり、周囲は、硫黄の臭いが漂っているという。松尾芭蕉もここを訪れ、「奥の細道」にも記しているそうだ。

 芭蕉研究者でもあった長野県生まれの歌人太田水穂は、1933年(昭和8年)夏、那須温泉を訪れた際に掲出歌を作った。石自体の説明はなく、「ただ雲の中に鳴りひびいている雷をいっただけ」だが、その簡素さがかえって、「ひろい那須野の原のその湯本なる殺生石をじつにぶきみに感じさせる」と解説されている。確かに、聴覚と視覚の双方から不気味さを感じさせ、存在感のある歌になっている。

 余談ながら、2022年3月、殺生石が割れたというニュースが話題になった。また何か新しい伝説も生まれるのだろうか。

◇今週の一冊 前川佐美雄著「秀歌十二月」(講談社学術文庫、2023年)

2023年7月2日

読書状況 読み終わった [2023年7月2日]

※本稿は、「北海道新聞」日曜版2023年6月18日付のコラム「書棚から歌を」の全文です。

・梓弓【あづさゆみ】引きみ緩【ゆる】へみ来【こ】ずは来ず来ば来そをなぞ来ずは来ばそを
   万葉集

 昨年刊行されて話題を集めた「愛するよりも愛されたい」は、副題が「令和言葉・奈良弁で訳した万葉集①」で、文庫サイズのハンディな一冊である。

 万葉集時代の都であった奈良の言葉に訳すことで、現代の標準語が、かつては地方語であったことも示唆しているようだ。

 しかも、「令和言葉」。SNS(交流サイト)で広まった流行語や絵文字などが用いられ、笑いを表す「www」や「#」のほか、「マジ」「ワロタ」「二刀流」など近年の言葉が登場している。

 掲出歌は、巻十一収録の作者不詳の歌。「梓弓」は「引く」にかかる枕詞である。「引きみ緩へみ」は、引いたり緩めたりと、反復して行うさまを表している。全体的に音で遊んでいるような歌で、特に下の句の、来ないのか来るのかはっきりしてよ、という口ぶりは今日的とも言える。

 これを令和の奈良弁で訳すと、こうなるらしい。

  愛の弓で  
  君のハートを狙ってるでぇ
  くんのかい? こんのかい!
  こんのかい? くんのかい!
  くんの? こんの?

 「?」「!」も用いて、スピード感たっぷりの訳。こういう遊び心は、1300年前の人々にも浸透していたのだろうか。

2023年6月18日

読書状況 読み終わった [2023年6月18日]
ツイートする