「仙台ぐらし」
伊坂幸太郎流エッセイ。
伊坂幸太郎はエッセイが苦手らしい。普通の生活しかしていないから、面白いエッセイは書けないのだと。だからエッセイの依頼を断ってきたと言う訳だ。しかし、伊坂幸太郎は遂にエッセイの依頼を受けた。そして、おとなしく日々の生活を書き出すと思いきや、往生際の悪い彼は思いもよらない技を繰り出した。なんとエッセイに架空(フィクション)を盛り込んだのだ。やるなー、伊坂幸太郎w
勿論、エッセイの依頼を引き受けたからには、当たり前だがエッセイを書かなければならない。だから、架空を盛り込んだのは、タクシーのエピソードだけなんだけど、このエピソードが一番手に持ってきた影響は大きいように思えます。だって、後のエピソードも実話のはずなんだけど、どうも短篇小説のように思えてしまって、パソコンが壊れてしまったエピソードでさえも、伊坂幸太郎自身が彼の小説の面子に見えてしまうですからねw
私はエッセイを好んで読む方ではありません。時に、エッセイは、著者の世界で完結しまう事が多くて、私が入っていく所が無い様に思えちゃってもの足りないんですよね。勿論、エッセイの本質は著者の言いたい事やそれこそ日常生活のあれこれを書くものだから、著者の世界で完結してしまってもおかしくはないんですけど、それでも読者としては少しくらい彼らの世界に入れる隙間を用意して欲しいものです。
その隙間から彼らの世界を見て、あーこういう人なんだとか、なんかイメージと違うなとか、色々ぶつぶつ言いたい。そんな隙間を用意してくれているエッセイが、私は好みです。実際、私は、堺雅人のエッセイでそうぶつぶつ言っていますし、彼はエッセイの書き手として素晴らしいと思います。
その点を考えると、この「仙台ぐらし」も好きなエッセイです。先に述べた架空エッセイには驚かされましたし、隙もちゃんとある。伊坂幸太郎ってやっぱりのんびり屋なんだとかマイペースなんだとか、考えが変わっている変人なんだとか、色々ぶつぶつ言えました。
同じエッセイでも「3562」よりものんびり感が漂っていました。テーマがそういうものばかりだったのかな。
- 感想投稿日 : 2014年3月29日
- 読了日 : 2014年3月29日
- 本棚登録日 : 2014年3月29日
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