子どもは判ってくれない (文春文庫 う 19-1)

著者 :
  • 文藝春秋 (2006年6月9日発売)
3.73
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本棚登録 : 987
感想 : 90
4

■書名

書名:子どもは判ってくれない
著者:内田 樹

■概要

内田樹さんのエッセイ集

■感想

面白い。
もっと正確に表現するのであれば、「面白いという感情を私の脳に
感じさせてくれた」一冊です。

ただし、「面白い」ということと、「理解できている」ということ
は別物です。恐らく、私は、この本の一割も理解出来ていないと
思います。

私は、「~~主義」や「~~性」という"比較的短時間でその単語の
定義が変化する抽象的な言葉"が嫌いです。嫌いなので、これらの
言葉は強制的に私の視界や理解から省かれるようになっています。

この本には、このような言葉が結構あるので、こういう部分は、
私の脳が勝手に読み飛ばしてしまっています。

では、なぜこの本が面白いのかというと、所々に上記の言葉を言い
換えた私の脳が理解できる別の説明が記載されており、その内容に
より、"上記の苦手な言葉を理解した"と錯覚させてくれるからです。

実際にはほとんど理解できていなくても、理解できた気分にさせて
くれる本がつまらないわけがないです。

これが、内田さんの1つ目の凄さだと思います。

2つ目は、この本に限らず、今まで内田さんの凄いところは、本に
書かれているような考えが出来ることって考えていましたが、よく
よく考えると、少し違うように思います。

勿論、このような書き方が出来ることも素晴らしいと思いますが、
もっと凄いところは、"考えた事を文章にして他人に伝える事が出
来ること"です。

この部分に焦点を当てて考えた時、少なくとも以下のような技術が
必要だと思います。

・自分の考えを、文字に起こす事が出来る技術
・使用している単語の知識
・文章を書く能力(相手に不快に思わせない程度の、文章の構成能力)
・論理的に文章を記載する力
・話題をすりかえる力

この中で、内田さんに特出しているのは、"話題をすりかえる力"だと
感じます。

内田さんの文章を読んでいると、以下のどれかの感想を持ちます。

 1.書いてあることを自分の中で理解でき、かつ、それに共感できる
 2.書いてあることを自分の中で理解できるが、それに共感出来ない
 3.書いてあることを自分の中で理解できるが、何となくモヤモヤが残る。
 4.書いてあることを自分の中で理解できないが、何となく内容は
  分かった気になる。
 5.書いてあることを自分の中で理解できないし、内容もさっぱり分
  からない。


この中で、くせものなのは"3"で、この感覚を持つことが内田さん
の文章を読んでいると、何となく多いと感じます。

これは、言い換えると、"言っている事を理解した気になっているが、
実際には理解できていない。"という事です。

この感覚を抱く原因は、以下のようなものが考えられます。

 ・私の知識不足。
 ・文章の話題が途中ですりかわっていることを、感覚的に感じ取っ
  ている(が、それを言葉で説明できない。)


勿論、私の知識不足が原因の場合もあるとは思いますが、知識不足
が原因の場合、そもそも"書いてあることを自分の中で理解できない"
場合が多いと感じます。

なので、私が感じているモヤモヤの部分は、"記載している文章を
自分の頭で処理した結果、始まりから終わりまで一つの流れは出来
ているが、その内容に違和感を感じる。"ことが原因だと思います。

そして、その原因を考えると、それは"話題のすり替わりによって発
生している"ように思うのです。

なので、私は、内田さんの技術の中で特に素晴らしいのは、"ほとんど
違和感なく、話題をすりかえる力"だと思いました。


ということで、話を元(本の感想)に戻すと、いつもどおり気付きが多く
頭の体操になる本でした。

ただ、やはり読むのに少しパワーと覚悟(準備)がいります。

後、本とは全く関係ないですが、この方の見た目が少し家の親父に
似ている気がします。

■気になった点

・現実が複雑であるときは、話しも複雑にするのがことの筋道と
 いうものである。

・問題は若い人々における「教養の不足」ではない。
 「教養が不足している」同世代としか自分を比較しないので、
 「自分達には教養が不足している」という事実が認知されない
 こと、これが問題である。

・私は、ふと手に取った本こそ「ご縁のある本である」という信念
 を貫いてきた。

・私の選書の基本は「その本を読んでいないと、その本を読んでい
 る奴に騙される危険性がある」という本を探り当てる、という
 ことにあった。

・人間がその潜在能力を爆発的に開花させるのは「やりたいことを
 やっている場合」だけである。

・実際にそう言ってみると。なんとなく「そういう気」になって
 くるのが不思議である。

・私が自分で「オリジナルだ」と信じて書いているものの大部分は
 実は誰かのコピーである。

・私達を廃人に追い込むような種類の「後悔」とは、「何かをし
 なかった後悔」である。(「何かをした後悔ではない」)

・「好きなことをやっている」ように見える人間は、「好きなこと
 がはっきりしている人間」ではなく「嫌いなこと」「出来ないこ
 と」がはっきりしている人間である。

・自分がなぜ、ある種の社会活動について、嫌悪や脱力感を感じるか
 ということを丁寧に言葉にしてゆく作業は、自分の個性の「輪郭」
 を知るためのほとんど唯一の、極めて有効な方法である。

・人は好きなものについて語るときよりも、嫌いなものについて
 語るときの方が雄弁になる。

・「自立している人」というのは、周囲から「自立した人だ」と 
 思われている人

・自立というのは、バカな他人にこき使われないですむことである。

・現実が整合的で無い以上、それについて語る理説が整合的である
 必要性はない。

・「結論を出すということ」と「正論を出す」ということは全く違う。

・「私の予測は外れる可能性がある」という主張は「正論」になり
 ようがない。

・呪いというのは誰でもやっている。呪いというのは、答えられない
 質問を繰り返し、相手を縛り付けていくことである。

・形式的には"問い"だが、実際には、沈黙を強いる言葉を呪いという。
 「おまえは学校を何だと思っているんだ?」
 「子供は作らないの?」
 
・「節度を欠いたコミュニケーションの欲望」の対象となったとき、
 私達は、「呪い」をかけられているのである。

・全ての家庭はどこか欠損があり、全ての親は何かに依存しており、
 そこで育つ子供たちは、多かれ少なかれそのせいで精神にゆがみ
 をきたしている。

・けなすのは簡単で、褒めるのは難しい。
 悪口を言うときには、対象の適切な理解は不要である。
 しかし、褒めるときには対象への適切な理解(少なくとも相手に
 承認されること)が必要である。
 だから、私は、理解したいと思うものについては、とにかく褒め
 るというスタンスを自らにかしている。

・情報の「利益」とは、その速報性において「優越する者」が「出
 遅れたもの」から「何かを奪い取る」という形でしか存在しない
 のである。

・未来永劫に正しい制度は存在しない。

・平和は退屈であり、あまりに長く続く平和は人間を苦しめるという
 のは本当である。
 しかし、その退屈や苦痛は、戦争がもたらす悲惨や苦悩とは比較に
 ならないものである。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 本:文庫
感想投稿日 : 2011年6月21日
読了日 : 2011年6月21日
本棚登録日 : 2011年6月21日

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