題名からも察することができるように、本書は「エンパワメント」と「人権」に着目するものである。
筆者によれば、エンパワメントとは「持てる者が持たざる者にあげる慈善行為といった類の言葉」ではなく、「お互いがそれぞれ内に持つ力をいかに発揮しえるかという関係性」という文章に集約される。より詳しく記述すれば、「わたしたち一人ひとりが誰でも潜在的に持っているパワーや個性を再び生き生きと息吹 かせること」であり、そのためには「肯定的パワー(権利意識、共感、連帯、信頼、技術、等等)をもってこの外的抑圧(権力、抑圧、暴力、差別、いじめ、等)と内的抑圧の両方を取り除いていくこと、人々の心を深く侵食している無力感と闘う」ことが必要であり、まさにこれがエンパワメントである。
エンパワメントを考える上で重要なのは、これまでの「弱者」だと思われてきた人々が実は「弱者」ではない、むしろ彼女・かれらの「弱点」だと思われてきたスティグマやラベリングを「長所」であると捉える発想にある。これは、筆者が指摘するように従来(今でもそうであるが)日本で使われてきた「エンパワメ ント」が、たとえば「女性の社会進出」や「女性を強くする」あるいは「女性の自立」といったような、強者から弱者への一方的なまなざしが内在するニュアン スで使われるような間違った使い方を改める、いわば戦略ともいうべき思考である点に特徴がある。筆者自身も、「外に力を求めるのではなく、自分の内にすでに豊かにある力に気づき、それにアクセスすること」がエンパワメントであると論じている。
したがって、エンパワメントは「差別をされる側、被害を受ける側、弱者とさせられてきた者の側(略)に立つことを選んだときに初めて可能になる関係のあり方」であり、抑圧される側の立場に立って考えなければ、エンパワメントの考え方に至れないという含意がある。
また、エンパワメントは「理念ではなく、日常的な人間関係の極めて実践的な方法」であり、主義・主張にとどまらない。そこで、エンパワメントを促進するためには、「まずもって一人ひとりが自分の大切さ、かけがえのなさを信じる自己尊重から始まる」。ここでいう自己尊重を理解するために、筆者は「人権」や「権利」という道具を使って説明する。
筆者によれば、権利とは「基本的人権」と「その他もろもろの権利」に大別される。後者には義務が伴うものである。たとえば運転免許を持つ人は車を運転する 権利があると同時に、安全に走行する義務が生じる。一方で、前者の場合は、義務が伴わず、等しく人間であれば誰でも享受を受ける権利である。
ここで、人権とは一言で表せば「人が人間らしく生きるために欠かせないもの」である。権利の中でも前者の基本的人権は「人が人間らしく生きるために欠かせないもの」であり、エンパワメントを考える上で重要な要素となる。筆者によれば、基本的人権には「安心」「自信」「自由」の3つの権利が重要であり、子どもの虐待や女性へのセクシャルハラスメントは上記の3つの権利を侵害するため、人間の尊厳を踏みにじる、すなわち人権侵害となるので社会問題であると考える。そこで、人権を守るためには、「権利意識」が必要であり、筆者によれば、「人権意識」は「自分を大切にする心のこと」だと定義される。
(感想)
この本のもっともキラリと光る部分はやはりなんと言っても「エンパワメント」という思想(解釈)であり、従来の考え方とは異なる点だと思います。これは、「弱点」を「長所」へという180度の価値転換であって、鮮やかな驚きと新鮮を覚えました。好きです、こういう考え方。
最後に森田先生のお言葉で最も感銘を受けたコメントを引用させてもらって僕のコメントも終わりとしたいと思います。
「社会問題とは、あなたが問題の一部になっていないのなら、あなたは問題の一部なのである。」 by 森田ゆり
- 感想投稿日 : 2010年11月2日
- 読了日 : 2010年11月2日
- 本棚登録日 : 2010年11月2日
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