数学者の孤独な冒険: 数学と自己の発見への旅

  • 現代数学社 (1989年2月1日発売)
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最初の数章には結構しっかり”新しい幾何学”のビジョンが書いてあって発見がある。というかかなりいい!トポスやスキームの直感的理解を与える。つまりそれはトポロジー的(連続)世界観と数論的(離散的)世界観をつなぐようなものであるらしい。

しかし中盤からは数学界のあり方に対する疑問になっているため、彼の数学とはあまり関係がない。もちろんその文章も別の方面で有用なのではあるが、社会学的・人類学的考察にしては少々見方が甘すぎて意見が偏っているため視野の狭さにいらだちさえ覚える。数学的には極めて”大局的”なことを行った人間にも関わらず。こういった記述から二つの事をかんじる。

①グロたんの指摘によれば数学界も決して”きれいな生き方、研究のあり方の理想”を達成できるような世界ではないということ。

彼の指摘によれば論文やアイデアの盗用、イジメも行われておりそこに罪悪感さえ覚えない人間がいる、と。つまりこの世界でも既に”科学者規範性”などというものは崩壊しており、むしろ最初からなかった単なる幻想なのかもしれないという事である。良くも悪くもそんな特別美しいユートピアなんてどこにもない、目を覚ませ、という事である。そしてつまらないなら数学なんてやめてしまえ、と。視野を狭めざるを得ない分、その妄信力はより強固なのかもしれず...

②彼の指摘によれば数学の理解と人間的成長には何の関わりもなく、むしろそれを遅らせる事もある。にもかかわらず当の建設者も気づかないうちに(夢見がちな独りよがりの妄想もしくは形式な操作を進めているだけにも関わらず)結果的に哲学的にも有意味な結果が生み出されているということだ。
そして往々にして数学者はそこに気づくもしくは味わう能力を持っていないため(数学以外の学問をちゃんと学習していないことが多いため)、人間的成長とは切り離されているということであるらしい。実に不思議だ。

数学の素養と哲学的素養の双方を備えた数学者と言えばポアンカレで終わりなのだろうか。少なくともグロタンディークは(数学的な結果は別として)思想的な方面ではそれではないという事がわかった。

個人的には数学界の”不正”の指摘あたりから何か強い疑問を覚えるようになってきて、彼の「愛」に関する記述、(=「知りたい」という衝動)を読んだときにもう読むのをやめようと思った。それを一番の原動力としながらも、自分の意志のみを優先して、相手が知られるのを気持ち悪いと思うという事も含めずにそれを愛と呼べるあたり、軽薄すぎる。全くその定義付けに納得がいけない。もっと真剣に考えてくれ。それで自分は無邪気だ、と言っているのならば単なる勘違いでしかない。結局彼も数学への好奇心がつきたという死んだ鳥症候群をごまかすために幼稚な”愛”なるものに走ったようにしか見えない。それでは愛を真剣に考えている方の人に失礼なのだ。こういう人はきっと数学だけやっていた方が良かったのだろう、と当時の多くのフランス人(彼が言うところの敵たち)は思ったのかもしれない。数学以外の事に関して記述するには少々未熟すぎるのではないだろうか。

ちょっとがっかりしすぎたので、”敵”と称されるルネ・トムの本でも読むか。それって結局サイバネとか複雑系など応用数学に繋がっていく訳なのか。期待が大きかった分、本当にがっかりだ。

でも最初の数章(彼の数学のやさしい解説)には本当に発見があるのでいい。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: math
感想投稿日 : 2013年1月13日
読了日 : 2014年7月27日
本棚登録日 : 2014年7月28日

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