数十年ぶりの『罪と罰』、読了しました。
やはり、良いですね。あらすじは言わずもがなですが、最後のシーンはジーンときます。
この『罪と罰』は犯罪小説なのですが、人間性の喪失と再生の物語であり、そして純粋なラブストーリーでもあるのです。そして大団円とまではいかないものの希望に満ちたエンディング。心が洗われます。
僕が1巻のレビューで書いた、高校生の時に読んだ時に一番心に残っている娼婦のソーニャに主人公のラスコーリニコフが罪の告白をするシーン。その場面を今回再読した際『罪と罰』を読んだ高校生だった自分の状況がありありと蘇りました。
ラスコーリニコフからの罪の告白を受けたソーニャは、ラスコーリニコフからどうすればよいかを問われた際、目に涙をいっぱいに浮かべ、ラスコーリニコフの肩をつかんで、こう言うのです。この時、ソーニャの心は大きくラスコーリニコフへと傾きつつあり、もう愛し始めていた状況でもあります。その彼女が「自分が愛そうとしている男」に向かって言う言葉です。
「さあ、立って!いますぐ、いますぐ、十字路に行って、そこに立つの。
そこにまずひざまずいて、あなたが汚した大地にキスをするの。
それから、世界じゅうに向かって、四方にお辞儀をして、
みんなに聞こえるように、
『わたしは人殺しです!』って、こう言うの。
そうすれば、神さまがもういちどあなたに命を授けてくださる。
行くわね?行くわね?」
このセリフ。数十年前にも読んだこのセリフ。完全に覚えていました。というか『罪と罰』の数あるセリフのなかで、このセリフしか覚えていません。
高校生だった僕の心に深く刻み込まれ、数十年経ても今でも鮮明に覚えていたのです。
どうして、このシーンだけを強烈に覚えているのだろう。
今にして思えば、当時の僕の価値観が完全に打ち壊された瞬間だったからだと思います。
日本人的に普通に考えれば、ここでソーニャの言うべきセリフは、
「警察に行って自首しなさい」
だと思います。もちろん『罪と罰』のソーニャも最終的には自首を勧めるのですが、まずは何を差し置いても、このセリフにあるとおり、
自分の犯した罪を、自分が汚してしまった大地(神)に許しを請い、全世界に向かって懺悔をせよ
と言うのです。
この時、僕は雷に打たれたように、世界を理解しました。この時初めて「これが宗教を持っている人間とそうでない人間の違いなのだ」と、自分以外の世界がこの世にあるのだということを現実に「知った」のです。
「人を二人も殺しておいて、許されるはずないじゃないか」
当時の僕はそう思っていました。
しかし、この小説の世界(僕の知らない宗教のある世界)では、「罪を悔い改めて、神に許しを請えば、神に許される」のです。
愕然としました。
「人を殺せば、警察に逮捕され、裁判を受けて有罪判決となり、刑務所に行って懲役刑を受ける、あるいは死刑になるまで、自分の罪は消えることはない」と当時の僕は信じて疑っていませんでした。しかし、それでも許される世界がある、ということを知り、そして「人間の罪を許すことができる『神』という存在があるのだ」ということを本当に知ったのが、この時だったのだと思います。
『カルチャーショック』などという生やさしい言葉では言い表せません。自分にとっては天地がひっくり返るくらい驚いた経験だったのです。
「キリスト教の教えとは、そういうものですよ」と簡単に言われるのかもしれませんが、キリスト教の本質など全く知らない当時の高校生の僕(今もキリスト教徒ではないですが・・・)にとっては「なんと神というものは寛大なのだ」とその偉大さに恐れおののいた瞬間でもあったのです。
人間は罪を犯す、愚かな小さき存在です。
それでも、人は精一杯、日々を生き、過ちを繰り返しながら、生活します。そしてこのラスコーリニコフのように絶対に許されない罪を犯してしまうこともあるでしょう。
しかし、人は、真にそれを悔い改めて反省すれば、許されることがあるのです。
本書のラスコーリニコフは、ソーニャにこうまで言われながらも、すぐには反省しません。自分は上手くできず失敗しただけだとうそぶくことすらあります。
さらに予審判事のポルフィーリィーとの最終ラウンドでもラスコーリニコフは完全に敗北します。
「あなたが殺したんですよ、ラスコーリニコフさん!あなたが殺したんです・・・」
まるで、刑事コロンボの映画のラストシーンのようにラスコーリニコフはポルフィーリィーに鮮やかに殺人の罪を指摘されます。しかし、ポルフィーリィーはそこでラスコーリニコフを逮捕せず、何事も知らなかったかのように自首を勧めます。ここは、ポルフィーリィーの心意気に打たれる場面です。
そして最終的に自首したラスコーリニコフはシベリアへ送られ厳しい労働を課せられます。ソーニャもラスコーリニコフのいるシベリアの受刑地の近くに住み、ラスコーリニコフを含めた受刑地の人達の面倒をみます。
そのようなソーニャの無上の愛を感じ、ラスコーリニコフは本当の自分の罪深さを知り、そこで初めて本当に悔い改めるのです。
数十年ぶりに読んだこの『罪と罰』、まるでタイムマシーンに乗って過去に戻ったかのように、いろいろと過去の自分を思い返すことができましたし、新たな発見もたくさんありました。
やはり、このような百年以上も前に書かれた古典名作には、人類の英知が宿っているのですね。
この『罪と罰』、10年後、20年後に再読した時には、また今と違った感情がわき上がるのかもしれません。
本当に濃密で、意味のある読書体験でした。ありがとうございました。
- 感想投稿日 : 2019年8月20日
- 読了日 : 2019年8月16日
- 本棚登録日 : 2019年8月20日
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