「他人の顔を付けること」は「他人になる」と同じこと?
1968年(昭和39年)発行、半世紀以上前の作品。
液体空気の事故で顔を失った研究所勤めの男が、
「他人の顔」を作り上げてその顔で妻を誘惑し、
妻の愛を取り戻そうとする。
主人公の「ぼく」は、仮面を作るに至ったいきさつ、
混沌とした迷い、仮面をつけた自分がなにをすべきか
という決断までノートに手記を書き続け、手記の
中で妻の「おまえ」に語り掛ける。最後に、その
手記を妻に読ませる。「ぼく」の浅薄さと悲哀が
鮮やかに浮かび上がってくる結末に、あっと
思わされた。
昭和中期の泥臭い雰囲気がたまらなく良かったです。
モノクロか初期のカラーテレビの色を感じさせます。
結末には関係ない箇所ですが、デパートの描写で
「どこの売り場でもかならず陳列台一つがヨーヨー
のためにあてられており、そのまわりに子供たちが
ダニのようにへばりついている。」(P145)
悪意も嫌悪もなく、デパートにいる子供をダニに
例えるなんて令和にはありえないのかもしれない。
文章で昭和中期にタイムトリップできる。
しかし、さんざんノート3冊逡巡した結果が
「やっぱり性欲」となったのはちょっと
ヽ(・ω・)/ズコー でしたよ…、うん。
読書状況:読み終わった
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- 感想投稿日 : 2021年3月18日
- 読了日 : 2021年3月18日
- 本棚登録日 : 2021年3月18日
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