教養の力 東大駒場で学ぶこと (集英社新書)

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  • 集英社 (2013年4月17日発売)
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著者によると、「教養」には3つの側面があるとする。
・『学問』や『知識』の側面
・自ら何かを『身につける』『修得する(精神的な成長の過程を含む)』の側面
・学問や知識を身につけることによって備わる『心の豊かさ』『理解力』『品格』の側面
伝統的な(旧制高校的な)「共通知」というべき書物を通じた知識の習得が「教養」の中心に据えるべき必然性もあるものの、サブカルチャーや断片的情報が氾濫する現代で「共通知」は崩壊した。むしろ教養を、質のいい情報を選び取る能力、学習態度(意欲)や学びのあり方と結びついたものと捉える必要がある。
また、知識が豊富であっても「マニア」「オタク」となる場合もある。教養人には、持っている知識や情報を分析し、取捨選択し、比較し、あるいはそれらを関連づけて何らかの結論を引き出すといった知的技術(メタ言語能力)、そして一つの主義信条に固執することなく最終的に最も妥当と考えられる判断を導く能力(バランス感覚:Sense of Proportion)が必要だ。これらが、『心の豊かさ』『理解力』『品格』に導く。

昨今、英語と教養を結びつけ、検定試験対策に特化した教育を行う大学が増えている。浅薄である。教養としての英語を学ぶ価値は、英語を学び、それによって(殊に道徳的色彩濃厚で、宗教的情操濃厚の匂い朗かな)英文学作品に触れることで教養が高まり、そこに描かれた高邁な精神のありようを学ぶことができるという、文化輸入の媒体としての価値にある。これは、東大でこそ主張できるとの誹りは免れないが重要な理念である。

最後に、著者が言うように教養の英訳は、Culture, Education, Cultivation あるいはRefinement である。従ってリベラルアーツ(Liberal Arts: 伝統的には、言語系3学と数学系4科。現代では、言語、数学、社会科学、自然科学の基礎学術)とは元来別のものである。しかし著者は「教養教育なるものは、そもそも施す側に知識/学問としての教養ばかりでなく、それを伝えるための高度な言語能力と論理的思考力が備わっていなければ成立しない営みである」としており、また、大学の教養課程において、「本物」の学問に触れさせる重要性を指摘しているが、このような観点から、教養教育とリベラルアーツとの不可分の関係をみることができる。
それにしても、教養課程をこのような明確な理念と実践をもって運営していた大学が、いったいどれほどあったのだろうか。教養課程部局がほとんどの大学で閉鎖された理由は、ここにもあるのかもしれない。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 高等教育
感想投稿日 : 2017年4月29日
読了日 : 2016年10月15日
本棚登録日 : 2017年4月29日

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