鬱とうつ病について知りたくて読書。
本書では鬱とうつと分けて説明している。五木氏の著書は恥ずかしながら読ませてもらっていないが、仏教の知識、事例が多くなるほどと考えさせてもらった。
鬱は本来は肯定的な言葉として使われてきた。鬱蒼とした樹林、鬱然たる大家、鬱没たる野心など。今ではあまり目にしない言葉も多い。視点が興味深くよい氣づきとなる。
脳内物質の異常で起こるうつ病であれば、しっかりと治療するするべきであるが、多くのは自称うつ、擬態うつ病、そして最近は、新型うつ病なるものも登場している。いずれもうつ病のための治療薬の効果は低い。ストレスやプレッシャーへの認識を見直すなどを通じて自分認知を高めるようなカウンセリングのほうが効果があると思われる。
そもそもうつ病であれば、周囲への攻撃性は低いのが一般的で、匿名の掲示板などへ他人の誹謗中傷、人格否定など書き込むことによって、自分へ目を向けることを避け、その場しのぎの優越感、偽肯定力に浸っているなんて行動は起こりづらい。
しかし、一方で自殺者の多くが何かしらの精神的な問題を抱えていたという推計があるので、自殺者を減らすためにも社会全体として正しい知識を持ち、うつ病と立ち向かっていかなければいけないと思う。
五木氏は、気持ちの躁鬱は人間なら誰でもある自然なことで、異常でも病氣でもないと述べている。自分の感情や状態を客観的に認識することが大切なんだと思う。そのためには自己分析や自己客観視を高めることが不可欠だといえる。
時代を躁の時代と鬱の時代と名付けているのは目を引いた。現在は鬱の時代、食事を楽しめなくなり、美味しい、楽しいではなく、健康第一主義へはまさにその典型という。なるほど、納得できる。
今の中国を見ているとまさに躁の時代なんだと思う。そんな中で鬱の時代の日本人ができることはなんだろう。
日本の将来には悲観論先行なのがやや寂しく感じる。
読書時間:約1時間15分
- 感想投稿日 : 2012年10月25日
- 読了日 : 2012年10月23日
- 本棚登録日 : 2012年10月25日
みんなの感想をみる