映画の鑑賞前にはできるだけ予習をしないのが主義であるが、今回は自身の読書量が少ないことがそれを達成してくれたようだった。原一男監督が奥崎謙三という強烈な被写体をカメラに収めたのが「ゆきゆきて、神軍」(1987) であり、その次の被写体としてロックオンしたのがこの井上光晴という小説家であったという事実が多くの説明を省略してくれる。
後に8年をかけてまとめあげた作品「ニッポン国VS泉南石綿村」(2018) の作品紹介の場で「昭和の時代にはスーパーヒーローがあちこちにいた。ただ平成の時代に入ってそう形容すべき人たちはすっかり影を潜めてしまった。だからもう撮るべき被写体はなくなったと戦意喪失したりしていたなか本作品のオファーをいただいた。スーパーヒーローではなくごく普通の人を撮って作品に仕上がるものなのか、悩みながら撮った作品です。」と発言してくれたわけだが、奥崎謙三なみのヒーローとはどういった人なのだろううという興味だけは抱いて作品を鑑賞した。その結果は…
なるほどスーパーヒーローだ。
彼の生い立ちをたどる際にぶつかる虚構の壁のあれこれは、寺山修司を追いかけるドキュメンタリー「あしたはどっちだ、寺山修司」(2017) を鑑賞していたときの足跡をたどるかのようだった。作品を世に送り出す立場の人というのは自身の生い立ちまでをも一旦否定してみせ、破壊した上でゼロから生み出せる力のある人のことを言うのだろうなと改めて感じた次第。
さて、晴れて彼の作品に目が通せる。
併せて瀬戸内寂聴にも手が伸ばせるな。ほんにありがたきこと。
- 感想投稿日 : 2019年6月17日
- 読了日 : 2019年6月12日
- 本棚登録日 : 2019年5月28日
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