俳句のお勉強を考へてゐた時、子規の句集とともに並んでゐた。
自分で俳句を考へるにあたつても、ひとの俳句を句会で選ぶにあたつても、結局どの俳句がよくて、さうでないのかがわかつてゐないことが多く、鷹羽さんの著書から学ぶことはかなりあつた。
ものを発見すること。俳句の目指すところはそこだと思ふ。ひたすらに自分の気持ちを排除する。なぜなら賢しらな人間の目によつて、もののかたちが歪められてしまふからだ。
発見をするといふことは紛れもない観察者の存在を前提としなければならない。しかし、詠まれた俳句からは徹底して観察者を排除する。もののかたちといふものは、この絶対的な矛盾をどういふわけか成り立たせてしまふ。
虚子といふ方も存外、これまでの日本の数々の芸術書の執筆者に違はず、多くを語らない。これは良い句。あまりよくない句と、批評はいたつてシンプルである。何がどうかうではなく、それは詠めばさうなつてゐるのだから仕方ない。
きれいなもの風景を頭の中で作り上げる。しかしそれはものの姿ではない。あくまで頭の中であつて、作意にしか過ぎない。自分でものを見つける。そこに俳句の始まりがある。
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
評論・哲学・宗教
- 感想投稿日 : 2020年2月8日
- 読了日 : 2019年9月28日
- 本棚登録日 : 2019年9月28日
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