フィッツジェラルドの最後となる作品。
未完の作品を読むということは、そこで書いた人間の試行錯誤の跡を辿ることができる。いかに彼の小説ができあがっているのか、その軌跡に触れられる。
こうして読んでみると、彼はどれほど演出に気を遣っていたのか、そんな姿が見えてくる。映画のまだ編集の途中か、まだ未編集の生のフィルム。それをじっと眺めて、どのようにつないでいくのか、あるいは撮り直しが必要なのか、思案しているそんな少し気難しそうな彼の背中が見える。つながりが断続的であったり、あるいはするすると息をするかのように流れていたり、そんな場所が随所に見られる。
彼がもつ独特の哀愁というか、力なく笑うような諦めは、丹念に練られた構成、カメラワーク、行動の裏にある伏線、そういった緻密な思考が生みだす、ひとつの映画であると、改めて思う。このひとの作品は、いつも映像というか印象が先行している。
物語の結末や叙述の仕方がどのように展開していくのかなんて本人以外の誰にもわからないし、もしかしたら、彼自身この作品自体を公開しなかったかもしれない。それでも、彼が残した原稿と台本から、彼の姿を辿ることは十分可能である。物語云々ではなく、フィッツジェラルドという映画監督の、そのワークスタイルが漂ってくる、そんなオフショットであると思う。
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
物語
- 感想投稿日 : 2016年11月30日
- 読了日 : 2016年11月30日
- 本棚登録日 : 2016年11月30日
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