最後の親鸞 (ちくま学芸文庫 ヨ 1-6)

著者 :
  • 筑摩書房 (2002年9月10日発売)
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感想 : 35
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「知識」にとって最後の課題は頂きを極め、その頂に人々を誘って蒙を開くことではない。その頂から世界を見下ろすことでもない。頂きを極め、そのまま静かに「非知」に向かって着地することができればというのが、おおよそ、どんな種類の「知」にとっても最後の課題である。
親鸞には成遂できた思想が「知」の放棄の仕方において、確かにあったのである。
「称名念仏」と「浄土」へゆくという「契機」を、構造的に極限までひき離し解体させることである。
あらゆる計らいは如来の本願の方にあって、じぶんたち人間の方にはただ絶対に自力をたのまない態度しかない、---最後の親鸞を訪れた幻は、「知」を放棄し、称名念仏の結果に対する計らいと成仏への期待を放棄し、まったくの愚者となって老いた自分の姿だったかもしれない。

吉本の論考は深く、ついていくのが大変。最も本質的課題・視点を探り、突き詰めて思考する、そのドラマを無駄なく表現する天才である。彼を通した親鸞の「絶対他力」の思想について、何度読んでもキーワードを列記するくらいしかできない自分が歯痒い。
自らの読解力や思考の至らなさを痛切に思い知らされる。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2022年9月3日
読了日 : 2022年9月2日
本棚登録日 : 2022年9月2日

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