『笑いと忘却の書』に近く著者も語る所の、とあるテーマの変奏曲的な小説という構成を、刷り込みの部分があるにせよ感じずにはいられない。美しい旋律が形とリズムを変えながら展開する短編集。なぜそのような錯覚に陥るのかは『愛』が主題である事と、精密に指揮されている文章の流れによるのかもしれない。
特に気に入ったのは、一番最後の『エドワルドと神』。信仰心をエッセンスに聖書と戦時下に渦巻く自由な思想を対比させながら描く若者の苦悩と幸福の物語。カミュのように透徹した冷静さを伴った語りがダイナミクスをより劇的に演出する効果を持つ事は『笑いと〜』で、すでに実証済みでしたが校長との行為に至るまでの過程は素晴らしいです。
嘘をつかない事を誇りとする兄に対しての小手先の詭弁。「狂人に対して真実しか語らないという事は狂人の側(ここでは社会一般と対比されている)のルールでゲームに参加する事を同意したのと同じで兄は狂人である。さらに、同意してゲームを真面目にすればするほど不真面目であるというループに陥って行く事を証明する。よって、私は兄のようになりたくないからゲームを降りる(嘘をつく)」
その結果絶対的な守護ラインを持つ女性達とのやり取りを突破するが、そこに情熱を注げば注ぐほどに見え隠れするカタルシスの徴候が見て取れる。
絶対的な純潔を信念とする少女アリツェと絶対的立場にある校長。アリツェを手にした時点で明らかになって行くのは殉教者たる青年によって結果的に辱められた校長と彼の手に落ち輪郭を失った少女、社会的制限を振りかざす者と神へ信仰心。そしてそれら絶対的制限の堕落が、非本質的であるが故に実在する事がさらに際立つ神、という逆説的観念との対比がより鮮明に描かれて行く。
アリツェに見た線の美しさと脆くも崩れ去った虚構の純潔、要はちょっとした挫折に拠って、非本質的なものの中に本質的なものを渇望する青年が物質的、生活的なもの、現実への興味を無
くしていく点は現在の若者の実態、絶対者の創出という点では近そうな気がします。
そして決して満たされる事のない不条理感を包み込みながら青年の幸福そうな微笑を描写し、『誰も笑おうとしない』と同じく悲劇的な喜劇であるように結ばれています。その点に未来への希望を感じてしまうのは少し滑稽ですが、どこかほっとさせてしまうような不思議な浮遊感と虚脱感があります。
- 感想投稿日 : 2010年4月11日
- 読了日 : 2010年3月24日
- 本棚登録日 : 2010年3月24日
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